僕にとって、

こういう所が、

日本の神様の、

いる所。


2025年 3月25日

暖かい空気の高曇り。微風。


本当に暫くぶりに、カブ(小さなモーターサイクル)のエンジンを掛けた。最新式のバッテリーが、もうすっかりダメになってしまうほど、エンジンを掛けていなかったのだ。なんとかエンジンを動かし続けるようにして、行きつけのホンダに持って行き、調整してもらった。新たにバッテリーを取ってもらい、連絡が来たら、再び持っていく。いやはや。車の方も、同じ様な状況にある。最近は、岩沼の街の中なら、そうとう遠くまで、すぐに歩いて行ってしまうので、こうなった。いやはや。でも、まあ、ギリギリのところで、全滅は免れ、全ての道具は息を吹き返した。これだけ、好きに趣味に生きてきたのだから、道具をうまく活かしておくことに、もっと気をつけようと思う。


ほとんどのところに歩いて出かけるとはいえ、最近では、時々、全く思わぬところで、ころりと転ぶことがある。僕は体に気を使わない事をモットーにしているので、その代わり、できるだけ、気を使って動くことにしている。他人にどう思われようが、手すりの近くで階段を使うし、自分の速度で移動する。腰を伸ばし胸を張る。そういうふうにしていて、ころりと転ぶ。ううむ、困った事になってきたものだ。


2025年3月31日

冷たい空気の高曇り。微風。


僕宛に、時々DVDの注文カタログが届く。もうそろそろDVDとは何かという様な文を書かなければいけなくなるのかもしれないが、ま。それはいいとして、僕は時々そのカタログから、注文をする。なので、切れずに、カタログが届くのだろう。とは言え、最近はほとんど注文することはなくなっていた。今回は、注文した。昔テレヴィでやっていた、ラットパトロール完全版DVD11枚セット。これ、もう廃盤になるのだろうなあ。一応、持っておこうと注文することにした。コンバットと、ラットパトロールがあれば、僕の若い頃のテレヴィ番組コレクションは万全となるだろう。届くのが楽しみだ。




 人は地球上の生き物なので、

生まれたからにはいつか死ぬ。

当たり前だから、

きちんと生きていたい。

2025年 3月19日

暖かい高曇、小雨。


僕は公共の美術館での公務員を退職して、思えば10年を超え、その後、様々、定期的な給料を貰う仕事をやめてからに限っても、ほぼ10年になったのではないか。今は、ほぼ正しい年金生活者だ。


という様な事から書き始めたのも、その公務員として、最も油の乗っていた頃に書いた教育をめぐる文章を巡って、いくつかの質問が来た。最近の僕の社会状況を知るルートは、ごく限られ、ある意味、偏向した方向の窓口になっている様に思えるところがあるので、今更、なんだかな、と思ったのだが、質問は、教育をめぐる、基礎的根本的な部分を巡る物の様に思えたので、自分の頭の体操のために、考えてみた。


とは言え、いまだに、なぜ、基礎教育で表現系(音楽、体育、美術)の授業をするのか?とか、自立した個人を目ざすとは、何か?、とか、なんだか最も最初に答えを明らかにされなければいけない様な問題が、どうも意識的かの様に後回しにされている様に思うのは、僕がどこかおかしいからだろうか。