5月23日 曇。雨ふりそうで降らず。

 友人の佐藤才子さんと、展示場の下見。佐藤才子さんは、陶芸家出身のインスタレーション作家。一年に一回以上、ある状況を設定して、そこに、何人かの仲間とともに展示し、そこの場所、および展示される物両方の、状況を変える、のを楽しむ。で、今回は、岩沼の、町はずれにある、昔、動物病院、少し前まで、病院の看護士寮、今、廃屋、という物件を探しだしてきて、そこの下見。庭、植木いっぱいで広く大きい木多数。草ぼうぼう。建物内、すごく魅力的。そのままきれいにすると、そのままで、ちょっとしたカフェとかできそう。きれいにしないと、そのまま現代美術物件/状況多数。7月の海の日あたりを中心に展覧会をする計画を立てる。「桜寮・岩沼」。参加、見学の問い合わせは、才子、又は齋へ。


 さて、大学の授業5回目。5月22日。質問に答える。今回、塗りつぶししていったい何のためになるのか、という質問が多くあった。すぐに目に見える結果のでる活動は、基礎的な教育では、少ないのよ。ずうっと遠回りに見え、何の役に立つのか、若いうちにはわかんないけど、人生に深く関わる勉強。実技は、前回描いた、B5の塗りつぶした紙の上に、同じ大きさのトレーシングペーパーを乗せて、見えるとおりに写す。マッキー細の黒使用のこと。最初、見えるとおり写す、というのが、話だけでは、なかなか始められない。勝手にピカチューとか描き始める人も出る。なにやってんだろう、何も難しいことはない、ちゃんと見えるとうりに写し絵すればいんだよと、少しやってみせる。見ることの自覚。見ていなかったことの自覚。見えないと思っていると見えず、見えるんだと思うとどんどん見える。静まりかえって作業が続く。線が終わった人は、持ってきた色で、「かっこよく」彩色。時間中にできた人は、塗りつぶした紙とトレーシングペーパーを提出して終了。

5月19日 厚い雲の日。雨では、まだなくて、空気がすごく湿っぽい。

 今日は、振り替え休日の金曜日で、家にいる。朝、洗濯をしながら、ふき掃除。ダイシン(DIYの店)と、イエロウハットに自転車で買い物に行って、具だくさんのみそ汁の昼食を作って食べ、洗い物をしてこれを書き始めている。私のごく時間があいている休日は、だいたいこんな感じに時間が過ぎる。今週は、相撲をやっているので、3時からはNHKを見るだろう。


 しばらく書いていない間に、ルノーのエクスプレス(私の普通に使える方の自動車)のクラッチが滑り始め、東北ルノーに入院した。で、シトロエン2CV(私の大切にしている方の自動車)を動かしたのだが、錆がひどくちょっと困ったなと言うところ2カ所に穴があいていることが判明。雨降りの日には動かせない自動車になってしまっていた。車検が6月なので、どうしたもんかと考えていたところに、全く偶然、そっち方面の友人Tさんから、緑色の2CVが誰か貰い手を探していますよと言う情報が入る。そういう物なのだ。じゃの道はへびなのだ。見に行ったら、僕のより遙かに程度がいい、しかし1970年代後半の602CC の物で、すごく動揺する。でも、私の水色の2CVにも、深い思い入れがあるので(何しろ、フランスからシャシを輸入して、再生したのだ)今回は、別の友人に情報を回して、私は、しばらくなおしなおしで、今の車を動かし続けることに最終的には決心した。で、今日の買い物。しばらくは、1/1の模型制作のような作業になる。楽しみだ。そろそろ、誰かに、ホンダトランザルプを譲る時期なのかなどと、突然思ったりしている。
 大学の授業4回目、5月15日。今回、個別の質問に答えずに、幼児の発達5歳から10歳までを、丁寧に話す。実は、これが、あなた達が、なぜ、このような授業を受けているのかの答えなのだけれど、、。10歳までの世界の形成の延長上に、今のあなたの生活/世界がある。
 今日の作業。各自に渡されたB5の白紙の中央に、小さい丸を書き「塗りつぶす」。小さいは自分で決めろ。さて、それがあなたの「塗りつぶした」だな、と確認。では、紙の残りの部分も、塗りつぶしなさい。始め。時間いっぱいまで、塗りつぶす。その紙は、次の時間に使うので、次の時間まで、各自、誰に聞かれても大丈夫なように塗りつぶしてくること。次の時間は、その紙と、マッキー細字黒と、その他適当な数のカラーマッキーを各自用意。マッキーって何、という人や、持ってない人は色鉛筆でもいい。終了。

5月8日 ヘンな曇の一日。薄ら寒く桜の花と葉が一緒にでている。

 大学の授業3回目。前の授業での感想と質問に答える。

木を削って、何を学ぶのですか?一言では説明できないので、この活動を行います。「熊のプーさん」のお話の最後の章を理解するため、といってもいいのだが、もっとわからなくなるかな。板を作ってどうするのですか?板を作るだけです。ほかに目的はありません、という目標。美術は、こういう風なものなのです。ナイフの正しい使い方を教えてほしい、そうすれば子供たちにももっとナイフの使い方を教えてやれる。あなたがナイフの使い方を覚えた方法を教える、という意識。私たちは何のため、この授業を行っているのかを自覚しよう。あなたの改革が目標で、子供に教えるため、ではない。先生は、上手に板が作れるのですか?良いコーチは、選手より何が上手にできる人ですか?私ができるかどうかは、それは、あなたが子供より上手にできるかどうかと同じだけれど、あまり関係ないことだ。ナイフを使うこと自体がこわかったです。本当のことを言うと、こわいは、面白い、難しいは、楽しい。感想と質問はもっといろいろあって、これに答えていると、そしてそれは大切なことのように、私には思えるのだが、時間がなくなる。
 今日の活動。自分の好きな鉛筆を手で、二つに折りなさい。その後鉛筆の木を削って、芯だけ提出。提出に際しては、「ウエルカム芯さん!」という形にして提出すること。というもの。前回の板を含め、提出は、この授業最終回までであればいいので、各自納得するまで作業してからでよい。

5月7日 僕の休みになると曇る。気温もなんか肌寒い。

 ううむ、こういう形(日記のような)で話をとどめておくのは、僕にとってはなかなか大変だ。というより、なじまない。だから、記録(更新)が、飛ぶね。これを書く時間があるときに、ほかにやることが、次々あって、それをかたつけてから、と思っていると、忘れて、寝てしまっている。電車の模型で遊んだり、20年ぶりで戻ってきた娘のBMXの修復とかの方なんかがやっぱり大切で、面白いのだ。公開することが幾つかある。


 大学の授業2回目の報告。4月24日。第一回の授業の感想と質問に答える。省略。実技は、まずみんなで、ナイフで削るものを探しに裏山へ。裏山って、大学の敷地ににある修道院の前にあるちょっとした松の林。おちているちいさい枝を各自5本ずつ拾って、地面に刺して立てる。その後、自分の親指程の枝を拾って教室に帰る。枝を、持ってきた自分のナイフで削って、提出品は、幅の狭い小さな板。「幅の狭い小さな板」とは、どの様な物かは、後で、僕に聞かれたら、答えられる程度に、各自(当たり前だけど)考えて、決めること。それはどのような物のことかは、俺に聞くな、という指示。はじめ、すごくざわざわするが、すぐに、シンとなって、皆一心に削り始める。時間が来て、感想と質問を書いて提出。板は、納得するまで作って、この授業終了時(たぶん7月の終わり頃)までに提出すればいい。という授業。この次の授業は、ナイフと、あなたの好きな鉛筆を一本もってくること。
 報告。4月21日金曜日から、河北新報夕刊に、「美術、ほんとのところ」という小学5年生から中学3年生までの読者を想定した美術を巡るエッセイを書き始めた。毎週金曜の夕刊に、10回連続を予定。挿絵は齋悠記さん。新聞の印刷だと、うまくでないが、実物は布のコラージュで、なかなかすてき。話は、僕が、美術館でいつもしている物で、聞いたことがある人はあ、あの話だな、という物。私としては、毎回の話に、悠記さんが、どのような挿絵を作ってくるかの方が興味深い。