いやはや、今書き始めて吃驚したのだが、なんとほぼ2週間書いていなかった。実は、この週末から今日まで、風邪っぴきで家で寝込んでいたのだが、そうだったのか、風邪ひいた理由はこれだったのだ。調子良いとすぐ働き過ぎるんだな、俺は。
6月に入ってすぐ、友人のO飛行士が美術館に訪ねてきて、しまってあった、「放射冷却する停車場より」という題の大きな彫刻(1m×1m×2m)を彼の家に引き取って行ってくれた。ありがたい。彫刻家は、このあたりが大変なのだ。枠からはずして畳んで重ねてしまっておくいうわけにはいかない。飾れる庭を持つ友だちは有難い。5日から始まった1週間は、新たに始まった25周年記念拡大常設展第2部をどのように教育普及で扱うかをまとめるので過ぎた。1期目は、時間軸が中心だったので、なれたもんだと何ごともなく過ぎたが、今期は、ひとつひとつの作品の読みとりの面白さ奥深さが展開される。読み取りは、1人ごとに異なるので、そこを確認し、大切だと思う所から始めなければ始まらない。多分、日本で鑑賞の「授業」をする時に、最も大変なのは、ここの所なのではないかと、僕は感じている。教育普及部の同僚の大島君とも話し合って、大分困ったが、困ったということをそのまま使って、お話を展開することにした。
12日月曜の休みに、前に書いた動物病院跡地での美術展のための草刈りをみんなとした後、大学で講義。草刈り機を友人から借りていたので、楽勝だとタカをくくっていたが、御存じの方は御存じの通り、草刈りは、ある特殊な作業なのであって、楽勝なんかないのであった。いやはや。その日の午後遅く大学の授業。
明くる13日は、朝から秋保湯本児童館に出向いて、就園前の人たちとお母さんの会で、みんなで穴掘り。特別に、何か子供のための遊びを勉強して、してあげるのではなく、普段の生活の中から、その人が何に興味を持つのかを丁寧に見つけだして一緒に遊ぶための練習。園庭に、大きな穴を、大人がスコップで一生懸命掘ってみせると、大きなスプーンやおたまを持った小さな人たちがそこに少しずつ混ざって来る。混ざってきはじめたら、大人はそっと穴から上がって、彼らを観察する。ある時期が来たら、その穴に、ホースで水を入れる。できたら、少し離れた所から川を作って流すのが望ましい。と言うような作業。すごく面白いよ。大人が、張り切っちゃうんだよなあ。冷静に、子供といることを楽しんで、というあたりの塩梅が難しい。その日の午後、県教育研修センターの小学校の先生達のための鑑賞の研修を、美術館の展覧会を使って。
その次の日は、いつも来ている愛児幼稚園の年少の人たちとの、極基礎的な美術館探検の活動。20年ほど前、この幼稚園のこの年令の人たちと、恐る恐る、しかし恐れを知らない若者の時代だったので大胆に、させてもらった活動。その活動の積み重ねから、美術館探検が始められた幼稚園なので、ぼくにとっては、いまだに大切で特別な人たち。素直に育てられている小さい人たちには、嘘やごまかしが通じないので、毎回自分の点検をせざるを得ない。いやはや。
で、木曜日の午後4時45分、うっすらと、喉の奥が腫れてきた感じがして、その夜、風邪をひいた。金曜はちょうど振り替えの休みだったので、その日のうちに直そうと思っていたが、そううまくは行かない。今日まで、ほぼ寝ている。いやはや、本当に眠れるので、本当に寝ていた。大分よくなってきた感じだったので、昨日の大学の授業は行った。美術館で会おうと言っておいて、迷惑をかけた人がいたようだ、ごめんなさい。偶然父の日なんかと重なって、下の娘が孫とともに家に泊まりに来ていた。本当に、助かったよ、ありがとう。
大学の授業第7回目。6月5日。創作折り紙。3人にひとつずつ、裏の林でその日に拾った「まつかさ」を配る。20年ほど昔、美術館で、その当時、日本一の誉れ高かった折り紙名人を呼んで折り紙教室を行った。それに参加した4歳の娘が、小さい手で大切に持って見せに来たものは、僕にはどうみてもくしゃくしゃにまるめた紙にしか見えない「折り紙」だった。「おう、できたか。で、これは何?」「石!」その時の彼女の自身に満ちた、誇り高き、キラキラした、目。と言うのが、僕の折り紙の原点で、そこを、みんなと共有したい。B5の紙を配るので、各自、松ぼっくりを折りなさい。切れ目を入れたり、切ったりしないこと。きちんと折ること。誰に聞かれても、これが、私の松ぼっくりだ、文句あっか、となったら、出来上がり。(携帯の写真で記録したら)紙を平に戻して、折れ目を、山折実線、谷折破線で、書いて提出。という作業。
授業第8回。6月12日。初めに、この授業で、創造力はついてきてきてるとは思うが、幼稚園とかに行ったら、やっぱり可愛いウサギさんとかを描く力がいるんではないかという質問に答えて、ウサギの描き方。ウサギの後ろ足を描いてみて。見たことがなくても、知っていることを冷静に使えば、たとえば、このような辺りまでは、誰でも描ける。そこから先は、何を可愛いと教育したいのかの問題になる。どういう大人にしたいのかの教育。この質問は大変大切なのではないかと私には思える。どういう教育を受けたので、私達は、今こういう人になったのか。そして、わたさひたちは、どういう人を作るために、教育をしようとしているのか。誰かが、誰かのためではなく、あなたが、あなたのために、それを考える、という意識。その後、裏の林に、みんなで出て、持ってきたカレーのスプーンを使って、各自自分の手のひら大の穴を掘る。穴というか皿。中に、燃えやすそうな枯れ葉や枝を集めて、今日は終了。
授業第9回。6月19日。全開の確認のため、今日は雀を描いてみる。年上の人と、少し戦ってみるのも良いんじゃないかという話。活動は、この前の続き。ティッシュペーパーをこよりにして丸め、火種にする。マッチのスリ方。火事になったらどうするか、各自考えておく。話の後、前回の穴に各自戻って、穴の中に、小さいたき火を作れ。マッチに火がつかない。紙が燃えない。すぐ消える。息を吹き掛けられない。薪の上に火種を作る。始めから太い木に火を着けようとする。その他その他。ほとんどが着火に失敗。一応、バケツに水を汲んでおいたが、後始末すら必要無いほどの惨敗。去年は、小雨の中で、松林の中にたなびく白煙だったのだが、、、。この次は、ハムスターになる練習。
6月 4日 晴じゃないな、薄曇り。暖かいのに風は冷たい、でも半ズボンをはいてみた。
しばらく更新する時間がとれない程、何やかにや毎日忙しかった。毎日の通常活動をぬって、5月27,28日の土日にかけて、大学の授業の一環として、美術館に全員集合し、美術探検と美術館探検の活動を体験する、というのをした。鑑賞(美術探検)と、その幼児版(美術館探検)。これまでの経験から、私が美術館で、どのような仕事をしているのか見せるのは、遅すぎてもだめだし、早すぎてもわからない。塗りつぶしを写してみる(5回目の授業)が終了したあたりがちょうどいいようなのだ。2日間同じ物をやってあげるから、各自都合のいい方の日に参加し、必ず両方の活動を体験すること。各探検の内容に関しては、また項を改めよう。何回やっても、ワークショップ、しかも、生きているワークショップを文章で記録伝達するのは、ものすごい字数が必要なのだ。気になる人は参加して体験する、が一番早く確実にわかる。で、次の日29日月曜日に6回目の授業をした。
美術館は、4月から始まった25周年記念拡大常設展の前期が5月末で終了し、1週間全館を閉めて、全部を展示替えし、6月3日土曜日から再開。拡大常設展後半が始まった。館が閉まってると休みでいいですねという人もいるが、来館者がいないときは、デスクワークがあるわけで、なんやかや結構忙しく時間が過ぎる。それでも、数日時間をとって様々動き回り、エクスプレスは生還し、2CVも一応動かせるようにした。若い友人たちと仙石線小鶴新田駅集合、ゆっくりうろうろしながら、歩いて梅田川沿いを戻り、東仙台苦竹旧原ノ町商店街探検なんかもした。これは面白かった。どうしてあの辺の人は、あのあたりをあのまま売り出さないのだろう。あ、こういうのおもしろがってるの、僕だけか。
6月3日は、拡大常設展後半の始まりの日で、美術探検と美術館探検の公開活動がある日なので、出勤。後半の展示は、前半が時間軸での展示で、使いやすかったのに比べて、専門性が高く、教養主義的にしか話が展開しにくく、普及活動で使うには、難しい。だいぶ脳みそを絞りつつ話をした。そういうときに限って、これまた複雑な教育的配慮がいる相談を持ち込む人がいたりして、重ねて疲れるのだ。でも一方、沖縄や酒田の古い友人が訪ねてくれたりして、やや和んだりもして嬉しかった。
大学の授業6回目。5月29日。美術館探検は面白かったが、美術探検は難しくあきた、という人が結構いた。始める前に何回も確認したとおり、両探検は同じ物なのだ。ただ、対象の年齢が10才より上か下かで変えているだけ。だから、美術館探検のおもしろさと、美術探検のおもしろさは、実は同じ物なのだ。僕にとってはね。館探検が面白くて美術探検は大変/あきた、というのは、象徴的にあなたの精神年齢を表している。美術館探検のおもしろさと同じ物が美術探検にあるというあたりをちょっと俯瞰的に考えてほしいものだ。
作業は、今回も写し絵。前回、見た通りを写すというのを自覚的にする練習をした。黒く塗りつぶした、これまでの常識では、何も見えないはずの紙の中に、素直に見れば、様々な物が見えるという練習。今回下にしく物は、私の顔写真用正面顔のカラー写真をB5にカラーコピーした物。その上に、同じ大きさのトレーシングペーパーをおいて、見える物(顔の輪郭のような線で見える物だけでなく、小鼻の赤みや、皮膚の凸凹、背景の壁の明暗当、線はない物も含めて)を細マッキーでできるだけ克明に線だけで写す。15分たつと、「では、下の絵を30度傾けて、続きを描きなさい」の指示が加わる。大混乱。その後最低15分は継続。最終的に、「できるだけかっこうよく彩色して提出」。適当に終わる人と、時間が来てもやめない人が出る。提出は、ほかのと同じで最終授業までにとにかく提出すればいいので、急ぐことはないで、終了。
美術館は、4月から始まった25周年記念拡大常設展の前期が5月末で終了し、1週間全館を閉めて、全部を展示替えし、6月3日土曜日から再開。拡大常設展後半が始まった。館が閉まってると休みでいいですねという人もいるが、来館者がいないときは、デスクワークがあるわけで、なんやかや結構忙しく時間が過ぎる。それでも、数日時間をとって様々動き回り、エクスプレスは生還し、2CVも一応動かせるようにした。若い友人たちと仙石線小鶴新田駅集合、ゆっくりうろうろしながら、歩いて梅田川沿いを戻り、東仙台苦竹旧原ノ町商店街探検なんかもした。これは面白かった。どうしてあの辺の人は、あのあたりをあのまま売り出さないのだろう。あ、こういうのおもしろがってるの、僕だけか。
6月3日は、拡大常設展後半の始まりの日で、美術探検と美術館探検の公開活動がある日なので、出勤。後半の展示は、前半が時間軸での展示で、使いやすかったのに比べて、専門性が高く、教養主義的にしか話が展開しにくく、普及活動で使うには、難しい。だいぶ脳みそを絞りつつ話をした。そういうときに限って、これまた複雑な教育的配慮がいる相談を持ち込む人がいたりして、重ねて疲れるのだ。でも一方、沖縄や酒田の古い友人が訪ねてくれたりして、やや和んだりもして嬉しかった。
大学の授業6回目。5月29日。美術館探検は面白かったが、美術探検は難しくあきた、という人が結構いた。始める前に何回も確認したとおり、両探検は同じ物なのだ。ただ、対象の年齢が10才より上か下かで変えているだけ。だから、美術館探検のおもしろさと、美術探検のおもしろさは、実は同じ物なのだ。僕にとってはね。館探検が面白くて美術探検は大変/あきた、というのは、象徴的にあなたの精神年齢を表している。美術館探検のおもしろさと同じ物が美術探検にあるというあたりをちょっと俯瞰的に考えてほしいものだ。
作業は、今回も写し絵。前回、見た通りを写すというのを自覚的にする練習をした。黒く塗りつぶした、これまでの常識では、何も見えないはずの紙の中に、素直に見れば、様々な物が見えるという練習。今回下にしく物は、私の顔写真用正面顔のカラー写真をB5にカラーコピーした物。その上に、同じ大きさのトレーシングペーパーをおいて、見える物(顔の輪郭のような線で見える物だけでなく、小鼻の赤みや、皮膚の凸凹、背景の壁の明暗当、線はない物も含めて)を細マッキーでできるだけ克明に線だけで写す。15分たつと、「では、下の絵を30度傾けて、続きを描きなさい」の指示が加わる。大混乱。その後最低15分は継続。最終的に、「できるだけかっこうよく彩色して提出」。適当に終わる人と、時間が来てもやめない人が出る。提出は、ほかのと同じで最終授業までにとにかく提出すればいいので、急ぐことはないで、終了。
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