昨日の続きを書く。ここまで来たら、恥も外聞も捨てて、私の今の状態を公開せねばなるまい。しよう。しかし、書いてみて思うのだが、こういう事を、みんな、本当に、シビシビやって、解決してるわけ?ほんとに?電脳相手にこういう事を丁寧に続けられるって、それって仕事じゃなく趣味の領域だな。電脳生活ってそういうもんなの?さて、次の日に行く前に、その日の夜の話をしなければなるまい。話はまだまだ本論にはいれない。
私は、家にも、ネットにつながった電脳を持っている。普段、電脳通信には使っていなくて、主にブログ関係をこちらですることが多い。前に話したとおり、O.S.Xで動いているそっちの電脳で、私は、今日昼間にiBookでやってみたことをやってみることにした。おお、何とすばらしい思いつきだろう、再び。こっちは、ネットに確実につながって作業は早い。手続きは順調に進んで(当たり前だけど)D.N.のホームページに辿り着き、メールサービスに行きますか?までは問題なく表示された。はいはい、行きますよ。これで、いらないメールをここから削除すれば、全ての問題は解決だあ(何回これを言ったことだろう。そして何回意気消沈したことか)。でね、潜り込みのためのあいことばを送信するページへと進出した。ガーン!そこに現れたページは、確かに、アウトルックで辿り着いた見慣れたページと形は同じものだったのだが、書かれている文字が、全てエイリアン文字!だったのだ。そこではたと気付くのだが(遅い)、O.S.Xで使われているネット用のソフトは、私のブログ関係テクニシャンMr.Ameeご推奨の「サファリ」になっていたのだった。電脳活動ほぼ全てにわたって、こちらの方があちらの方より使いかっては速くて、良い。ただ、これにはだめだったのな。ああ、それで、あの初めのお兄さんは、「それなら大丈夫」って言ったのか(気付くの遅い)、なんてことだ。やや逆上気味に、私は、様々なところを開いていって、サファリの前に入っていたあのソフトを探した。その結果、おお!何と、(戻れなくなる前に)ハードディスクのアプリケーションファイルのはじっこに隠されていた、アウトルックエクスプレスのソフトを発見した。やった!さっそくそれをクリックする。「クラッシック環境に変えます」などという、ちょこざいな表示がでて、(ええい、早くクラッシックにするんだ。俺はクラッシックなんだ文句あっか!もう思考が混乱して荒い鼻息。)何かが機械の中でジジッとなり、元の画面に戻り、そして、そのまま何も変わらない。もう一度やっても、かわらない。そこに辿り着くために、何か簡単な方法があるのだろうということは推察できる。でも私には、もうこれ以上電脳と戦う(戦っていたのか?)根気がないのだった。結局どうしても、アウトルックを出すことはできないのだった。これ以上いじると、もともとの状態まで戻せなくなるのではないかというあたりまでいじった後、僕は、荒くなった鼻息で深い呼吸をし、再び、システム終了の手続きをして電脳の蓋を静かに閉じた。いったい、僕は、何回静かに蓋を閉じれば、あの豊かな?電脳生活にたどり着けるのだろうか。
次の日、再びオレンジiBookの前に座った私は、インターネットエクスプローラーを開いた状態まで電脳を立ち上げた上で、決心も新たにD.N.T.S.C.に再び三度電話をかけた。今度は女の人が(すぐに)出て、状況を話したら、「ああ、昨日もお電話いただいた方ですね」とか言われ、「昨日の係に回しますから待っててください」といわれてしまう。いやはや、俺って、この人達の間では「ああ、あの人」になってしまったのだなあ。しばらくぶり?で話す彼は、冷静だった。「インターネットだと詰まるようだから、メールで入りましょう」。えっ、メールで入るって何が、どこへ?
まずメールソフトを開いてメール送受信の画面を出す。インターネットには繋いでおくが、送受信はいじらない。左端のメニューが並んでいるところの下の方、アドレス帳の次にあるアイコン(僕の場合、そこは、僕のログインネームが書いてあった)をクリックする。それを送信すると、おお何と、僕の私書箱に入っている手紙のリストが全部表示されるではないか。
本当のことを言えば、ここに至るのが簡単にいったわけでは、全くない。違うメニューや、ツールバーでの操作が若干必要だった。どこかの状況設定で何かを表示しないようにして、そこのツールバーの何かのチェックを外す操作を、幾つかの初期設定で繰り返す。操作をするたびに、リターンを押して実行し、画面が動かなかったり変わらなければ、次のメニューのクリックを外すというような。問題は、携帯電話を耳に、興奮して緊張しながらやっていた私が、今となっては、それらの手順をほとんど忘れてしまったと言うことだ。ま、何はともあれ、様々な難問難関?をくぐり抜けて、メールの画面に僕の私書箱に来ている電脳通信の全てのリストが表示された。既に、受信できなくなってからも日にちは重ねられているわけだから、その数は500を少し超えていた。いやはや再び。「で、削除をクリックしたら、ツールバーの、、」というところで携帯が、突然ぷつりと消えた。見ると、ここまで既に36分だか話し続けていたのだった。なぜか、僕の古い携帯は、このように、突然ぷつりと機嫌を損ねる癖が最近出てきた、特に大切な会話が始まるあたりで、いつも。ま、しかし、ここまで来たのだから、後はしばらく自分でやってみよう。なんて簡単にいくならあのお兄さんたちはいらないのだ、ということがすぐわかる。消えないんだなあ、これが、びくともしない。削除のチェックを入れて、その後が動かない。しょうがないので、再びを越えて三度四度、お兄さん達に電話する。解決法は、ツールバーの「表示」にあった。「表示」を「更新」するのだと。これって、みんなすぐわかることなの?表示が更新されると、表示から削除されたメールが消えた新しいリストが表示される。なるほど。というより「何やってんだよ、おまえ(この場合電脳ね)は」という感じの方が、僕には強い。
さて、やっとの事で、話は終わりに近づいた。500通を越えていたメールは、いらないものを消したら6通になった。そうだよなあ、3日でこのぐらいが、僕としては順当なところだ。ここまで来ればメールソフトは、何事もなかったように動いている。まったく。何かある人は、どうぞ僕の個人アドレスにメールを下さい。アドレスわからない人は、すまぬ、まず手紙を下さい。訪ねてきてくれても良いし。僕は、仙台にある宮城県美術館の創作室に「美術と美術館 何でも相談係」としています。
私の意識できる世界では、「効率がいい」とか、「速い」とか、「簡単に」とか、「楽だ」とか、「みんなと同じに」とかの概念は、このような状況で終始する、ということが今回わかった。これが、「老人力がついた」と言うことなのならば、よおし、なかなか嬉しいことでないの。ではね。長い与太話につき合ってくれてありがとう。もうここまでくれば、こういう話は、この後書かずにすむのではないだろうか。