明日で日展の100年という展覧会が終わるので、ここ数日の展示室のこみようは大変なものだ。終了間際に入場者は一気に増える。今週はついでに、県下児童造形展示会が県民ギャラリーで開かれていて、近くの仙台市博物館では東北大の至宝展。駐車場は予備も含めて開いたとたん満車。その数の割には、展示室の混みようは思ったほどではない。広瀬川に芋煮に行く人は、車をおいていかないようにということか?美術館の教育普及部も、しばらく忙しい日が続いている。
幾つかの美術館の教育担当者から、問い合わせが立て続けにあった。だいぶ長くやってきた子供のワークショップの点検をしたい。予算の時期だが「美術館なんでも相談」なんてわけわからん活動をしているお宅はどの様にお金を取っているのか。そもそも、それはなに?とか、結構大切っぽい相談。それを電話で済ませようとするところと、来てみないと言うところと、来てと言うところと。
電話や、手紙だけでしかわからないのでなんとも言えないが、この夏の大原美術館で呼ばれて以来、何か、本質からの意見が求められ始めている感じがする。もちろん、みんなは、僕が言うようなことは十分知っている。なにしろ相手は、僕が話に使っていることを書いた人たちだったりするのだから。ワークショップとは何か。子供とは何か。教育とは何か。そして美術とは何か。ほとんどの答は、既に誰かがどこかで、書いている。具体的な場面での使い方のイメージの点検。常識を拡大するヒント。で、僕の常識も既に常識。健全な人格の形成を目指す教育の根本目標は、その健全さを常に点検することを含む。こういうこととは関係なく、新しく生まれた人たちは元気一杯、美術館に来て美術館探検をして美術探検をする。で、僕も、こういうことは関係なく、毎回新しい知識を頭に、これまでの常識を組み替え直して、元気一杯彼らとお話をする。毎日ヘトヘトだけれど、でもたぶん疲れてはいないんだろうなあ。