2008年 9月15日 曇り。湿気高く薄ら寒い。

敬老の日で休み。朝ゆっくり起きて、ぐだぐだと何もせず、Tシャツにパレオで家にいる。 まだ終わりではないのだが、ブログを更新していない間、いやはやものすごく気ぜわしい毎日が続いている。明日からの小学4年生たちとのワークショップ3連戦で、一息だ。そしてすぐにリニューアル開館。気ぜわしいではなく、物理的に忙しい、本当の毎日が始まる。



この前の更新は8月の10日過ぎだった。胞夫さんが軽い脳梗塞を起こして入院し、ちょっとした騒動を起こした後に書いたのだった。その後胞夫さんは施設に泊まり込んでもらっている。入院のことはもうすっかり忘れてしまっているのだが、やはりあれは大変ショックだったようで、認知症は一気に進んだ。おしめは手放せなくなってしまったし、便所の場所が時々分からなくなってやたらの所で立ち小便をしたり、その便所の帰りに自分の部屋に戻れなくなったりしているという報告を受けている。僕は変わりなく大丈夫だと言いたい所だが、この年になるとこのような入院の疲れはじわりと効いてくる。3日間ぐらい完全休養でないとどうも眠り足りないのに、何やかにやで2日半ぐらいで終わってしまうのだ。ま、楽しくのんびりとするように心がけつつ、やりくりしている。
宮城県美術館での教育活動は、通常個人に対して常に公開されているので、夏休みだからといってとくに子供のために何かイベントをするとかいうことはない。が、今年は休館中。結構頻繁に県内各所の学校や公民館に出張して美術探検の活動。その合間を縫って小学校の先生たちと館外での活動を何回かする時間がとれた。でも、今年は毎日寒いくらいの曇り空続きで、山の川で遊ぶつもりが、行ったとたんに雨降りで、鉄砲水に流される前にと、早々に温泉しけこむことになったりした。
8月28、29日、東京の目黒区美術館で、美術館教育のこの20年を振り返るシンポジウムが開かれた。目黒区美術館には昔からよく知っているF旗さんという熱心で優秀な学芸員がいて、昨年開館20周年になった機会にこの会を企画した。もちろん彼女が企画するとただのシンポジウムではなく、パネラーとして呼ぶ一人一人に、全国美術館会議教育研究部会の人たちを二人ずつつけて、1時間のロングインタビユーを2日間にわたって続けるという、これまでのシンポジウムのストレスを根底から覆す会になった。人選も秀逸で、この辺りは東京にいる強みだ。もちろんその辺りはきちんと意識されて企画され、生かされている。70年代に始められた造形から美術に意識をシフトした美術館教育。1日目の4人目に呼ばれて、始めた頃のことについて聴かれた。僕の所で、プレワークショップの時代は終了。次の日は、ワークショップという言葉が、普通に使われ始めてからの人たち4人。1日目の話は、僕が意識していなかっただけで、彼らの活動を小耳に挟んだことによってその後の宮城県美術館の教育活動の展開に深く影響やヒントをもらった活動についてで、何回もうなずきながら聴いた。二日目の話には、各美術館の発表で一言ならず宮城県美術館からの影響について述べられ身の引き締まる想いだった。2日目は少し居眠りでもなどと考えていたが、そんなことは頭に浮かぶ間もなくおもしろがって聴いているうちにあっという間に一日過ぎた。テープ起こした記録集が作られると言う、楽しみだ。
帰って来て日曜日孫と二人だけで水族館に行ったりして休む間もあらばこそ、早々に東京に引き返し9月2日3日、美術館連絡協議会主催の学芸員研修会講師。美術館は、日本では本来展覧会をする所という意識が強いので、美術館の連絡を協議する会は、展覧会の情報連絡と、実践協議をする集まりだったから、数年前までは、教育普及についての研修会を美連恊がやるなんて僕も含めて誰も考えなかったんじゃなかろうか。でも、去年から美術館での教育について新しい学芸員を対象に研修会を始めた。とはいえ、去年講師をしたのは、世田谷美術館の高橋君で、彼は、最近は「落語家」として売っていて、しかしそれはそれ、なるほど、そういう方向で美術館の教育について考えるというのは、これからはすごく大切かも、と本当に僕は思っていたのだ。さすがに展示系の美術館についての奥は深い、と。彼に比べられたら、僕はものすごいコンサバで、まったく美術プロパーの教育しかしていないと言える。事務局の人にその旨話して、今回は近代美術館で出来る鑑賞とは何を気づく鑑賞なのかというようなことを研修。作品個々ではなく、ざっと見て「美術」そのものに想いを馳せる練習。宮城県美術館で通常やっていて、この前、山口県美術館でやってみてなんとかできることがわかった活動。でも、国立近代美術館には、適当な作品というのはなくて、全部良い作品ばっかりだったので、むしろ大変だった。良い美術の作品は、その作品一つでダイレクトに美術の神髄に入って行ってしまえるので、回りから話を差し挟む隙がないのだった。でも、年の功でなんとか話をまとめる。
帰ってくると、仙台のプレスアートという所で出している30歳代の人たちのための情報誌「kappo」のインタビュー。友人のO泉君というフリーのライターがインタビュアーとしてくる。10月から美術館はどのように新しくなるのかと聴かれて、たじたじと「いや、新しくなるのは空気だけなんだよ」などと答えて、緊張が走る。その後色々聞かれて話を膨らまし、彼が大変上手にまとめてくれた。本当に、最近若い人たちにずうっと助けられっぱなしだ。助けられっぱなしと言えば、つい昨日一昨日は、仙台定禅寺通ジャズフェスティバルで、今年は2日間演奏家が来て、それを聴きに思ったよりたくさんの人たちが来てくれて、それらも、ほぼすべて、回りの若い人たちが様々あれこれやってくれて、いやはや本当に僕は嬉しいなあ。それにしても、そろそろスカッと晴れた日が続いてほしいものだ。