明日は美術館再開館の日だ。今日午後3時からウイーン美術史美術館展の開会式があって、それが再開館の式典もかねる。どうしようもない状況が続いていても、とにかくジッと待っていると時間は過ぎていって、いつのまにか次の状況が始まる。これって、結構凄いことなのではないか。
6日は月曜日で本来休みの日だが、今日は(服装は相変わらずのちゃらんぽらんだが)ネクタイをして、式に出席するため朝から出勤。始まると、ウイーン展が今年いっぱい、来年初めからファイニンガーという人(みんなこの人知ってるの?)の展覧会が年度末までと続く。この10ヶ月に及ぶ長い休館に入る前は、日本彫刻の100年展と、日展の100年という展覧会で、これらを継続してみると、凄く面白く人間の近代をとらえることができるのだけれど、誰も気付いていないだろうなあ。ちょっと残念だ。
西洋のと断るまでもなく、美術の歴史は、自我の認識の歴史だと考えるとわかりやすい。ごく小さい子供の頃、私達は、「お母さんの子供」だった。お母さんの範囲内に世界はあり、お母さんの自我が自分の自我と分かちがたくあった。お母さんを神様に置き換えると、それは世界の話になる。お母さんから自立することが今思えば結構大変だったように、神様の世界から一人で抜け出すには、人間は、それを自覚してからでさえ、何百年もかかった。そのあたりのつじつまが着くと近代が全体として始まる。神様って本当にいるの?なんて誰かが言い始め、相当勇気を奮って、一人で踏み出してみようかなと言うあたりの絵が、今回来たウイーンからの静物画の世界展だと理解すると、視点は一気に広がる。見えるモノを見えたとおりに絵に描いてしまうというのは、写真機ができるまでは結構物理的にも大変な作業だったのだ。そして20世紀、写真機が一般化して、私達は、見たとおり描くことから解放される。で、初めて、私は何を描いていたのかが問われる。何を描きたいのかが問われる。ファイニンガーはそのあたりにいる。僕は1951年に生まれて、2030年代を見られるだろうか?彼は1871年に生まれて1952年に死ぬ。世紀を跨がることにかけては、僕も彼も同じなのだ。二つの世紀に跨がって、生きることを自覚して彼の絵を見ると、何か見えてくるに違いない。
なんていうようなことをつい考えてしまうような展覧会が続いている。宮城県美術館は、なかなかやっているのではないか。自画自賛。
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