10月から、美術館が再開してほぼ1ヶ月過ぎようとしている。本来なら4月から9月までに来ていた様々な団体が示し合わせたように、11月にまとまってやって来た。そして、本来11月に来ていた団体も。ブログの更新の進み具合からもわかる通り、ほぼ毎日、ものすごく忙しく働いている。スタッフ総動員で毎日延べ6回ぐらいずつ、美術探検や美術館探検をしている。たとえば今日僕の担当は本物の探検で、いつも来ている聖i幼稚園の年長組10人と、美術館から彼らの幼稚園まで約5時間かけて、広瀬川沿いのお散歩のような探検をして来た。天気予報では、あまり天気が良くないはずだったのだけれど、誰か行いのすごく良い子供がいたのだろう、快晴の青い冬の空に、飛行機雲が出ていない白い飛行機が見えた。
思い出せる事だけ、書いておこう。13日、大崎市古川であった県の小中学校造形研究大会(図工美術の先生たちのオフィシャルな研修会)に、助言者(何をする人かすぐにわかる?)として参加。参加していつも思うのだが、もう少し早めに相談してくれると、子供たちのためにいくらか助言できそうに思うのだが、ここに至っては、もう助言のしようがない。やるのはどちらにしても先生たちなのだから、事前の相談中に煮詰まってきちゃったら電話してくれれば良かったのに。美術には、様々助けになる考え方や作り方が、五万とある。15日、いつもの通り起きて美術館に行く時と同じ時間の電車に乗り、しかし美術館には行かずに仙台駅から新幹線に乗ると、12時半には京都駅に着いていて、13時半から同志社大学の講義室で、元文部省調査官の宮W先生らと社会教育の中での美術教育のあり方についてお話。僕は実践的な意識から外れないように注意しながら話す。夜は貴船の旅館に大学の先生たちと4人で泊まって、深夜まで強化合宿のような美術教育のお話。次の日軽い雨模様だったけれど、鞍馬山を横断して(大変気持ちの良いトレッキングだった)京都の北に降り、紅葉の中を叡山鉄道で街に出てその日のうちに(と言っても夜10時過ぎたが)仙台に帰る。
京都に行く前の日に、幼稚園の年長組の人たちとのこぎりを使った木工の活動。帰って来た次の日はさすがに一日だらだらして、次の日からは幼稚園年少組美術館探検+大学院の人にそれの説明と相談、翌日年中組に探検と粘土作り+F大学主催の老荘大学の人たちにそれ(子供に対する美術教育はどうあるべきか)の説明と美術探検。そして今日の活動。明日は、午前中M中学校でPTAのための子供の絵の見方についてのお話。その次の日は、12月に山形から来る幼稚園の人たちが打ち合わせに来て、その次の日は朝からまず僕の病院。僕のが終わったら、胞夫さんを内科の病院に連れて行き、時間があったら床屋に連れて行く予定。
さすがにストレスたまるなあと思うのは、これらの活動の中に、年金特別便のなんだかげっそりするようなしかし(自分のせいでなく面倒で)大切な作業や、それをやったら、明美さんの分がまったくなされていない事がわかって、しかも、彼女の障害者手帳の期限が切れていて新たな手続きが必要になったり、突然僕の予定より早く雪が降って来て車のタイヤはどうすんだとなったり、その他思い出すのもうんざりするあれやこれやがなぜか一斉に起こって来て、手の抜けない美術館の活動の合間の時間にまったくリラックスできないという悲惨な事態に陥っている事だ。ええい、こうなったら、誰かに迷惑をかけてもいいから(何を今更と言われそうだが)何か気分転換を図らなければいけないなあと考える毎日だ。