2009年5月3日 少し曇り。

昨日の日記を今朝読んだ。少し補足をしたい。

4月の終わり頃、様々な人の個展が続いてあった。県民ギャラリーで本間君と跡部さん。二人とも、又く方向は違っているとはいえ、思う存分の大作をギャラリー一杯。街で、田辺さんと千葉君。自分を深めるとこういう風になって行くんだ、出てくる方向がこれまでとまったく違おうが、同じ方向を見つめていようが。僕もグループ展に出品して、なんだか右往左往し、宮城県美の常設展が変わり、美術は、教育なんかとはまったく違う視点で存在しかつ進んでいることを深く反省し、福島県美にワイエスを2回見に行った。あれだけ丁寧に対象を見ていたら、当然あの絵は必然で描けちゃうよなあなどと、不遜な感想を持つ。ついでにかの美術館の常設もある感動を持って見た。僕は、本当にここ(宮城県)にいたのでこうなっていられるのだなあ。今、宮城県美の特設展示は州の内コレクションで、次は前衛のみやぎ。前衛であるということは作品のありようとは別にあって、自分を深く振り返る、いい機会になった。展覧会ひとつひとつにもエピソードがあって、そのことも書きたいが、さしあたってざっと見ても、大変興味深い流れだ。エクスプレッション(表現)と、その基になるインプレッション(印象)。その移り変わりと世紀が変わって行くことの(多分、今はまだわからない)深い関係。他人はどうあれ、自分は大丈夫なんだろうなあ。
部長になってしまってから、付き合う人たちの幅が少し変わって、まるで絵に描いたような大人の人とも、関係を持たなくてはいけなくなって、忌野清志郎の歌う歌を噛み締めることが多くなっていたら、彼が昨日死んでしまったと知った。最初に感じたのは、「くそー、うまい具合に死にやがる」だった。これからが大変で、面白そうなのに。そういう時のこの展覧会の流れだ。2CVを動かしながらオートバイに乗ってカヤックを漕ぎ、良いセックスをしてうまいものを少し食い、昨日の夕方のように下駄を突っかけて行ける所で裸足で聴ける音楽を楽しみ、今日は今から希野と遊びに行く。何かもんくあっかという毎日を、意識的に送らなければいけない。