5月の末が、様々な振替休日をかき集めた僕の今年の黄金週間。一週間の休みが取れたが、そのうち4日間沖縄にいた。沖縄は今梅雨なのに、僕のいた間は気持ちよく晴れた。仙台にいる間は、いつもの休日のように結構慌ただしく毎日が過ぎたが、沖縄は相変わらずの沖縄だった。ノンビリユックリボヤボヤと、しかしアッという間の気の置けない毎日。
思えば飛行機に乗るのが、この前沖縄に行って以来だから、数年ぶりだった。今回は是非にと、空港アクセス線を使って電車で仙台空港へ。大きいリックサックを背負って、いつもの通勤自転車で少しよろけながら岩沼駅まで行き、名取で乗り換え、立って周りを眺めながら空港へ。高いところから見る名取のショッピングセンターのあたりを確認しながら楽しむ。ここまですべてスイカ定期でピッ!おまけに航空券も、読み取り機にかざしてピッ!で終了。なんだかつまんないなあ、と思っていたらその後が大変だった。
いつも飛行機に乗る時、僕はたくさんの危険な刃物を持っている人である事が判明する。なので、今回は、前もって、レザーマンの多機能ナイフは腰のケースから出してデイパックにしまって手荷物検査を通しておいた。もう一方の腰に下げてあるラギョールのポケットナイフは短い刃なので、これまでは搭乗待合室に入る機内持ち込み物検査のところで機内預かりをお願いすれば通過できた。これができなくなっていた。検査用にポケットから出したすべてのあれやこれや(僕の場合異様に多い)を再びゴソゴソと所定の位置に仕舞って、最初のチケットカウンターに戻り、刃の長さに関係なく刃物類、金属円筒物(懐中電灯ね)などを小さい段ボール箱に仕舞ってもらって封印して手荷物扱いにしてもらい、再度搭乗待ち合い入り口に行って、残っている金属検査機に引っかかりそうな品々をトレイに山盛り!に乗せ、でも、これでも、一回で通過できないんだよなあ。僕はこういうのけっこう楽しみで、できるだけ協力的な態度で臨むから、係のお姐さんたちが気の毒がって、何か体の中に金属入っていませんかとか聞いてくるのだが、今は入っていない。ベルトのバックルでもなくいよいよ裸になるかと思ったが、丸い輪っかにとっての着いた小型金属探知機で体中なで回され、腰につけて何も入っていないナイフやスポットライトのケースなども全部再度開けて検査された上で、一応合格。何だったんだろう。
飛行機に乗る時、僕はできるだけ窓際の席をお願いする。外を見ずして乗り物に乗る意味があるだろうか、まして飛行機においておや。今回行きは主翼の少し後ろの列のA席。フラップやエルロンの動くのが見える。嬉しい。飛び上がると結構な曇り。雲を抜けて高空にでると、下はずうっと白く光る雲の海。所々に入道雲。見飽きない。前の時は、ラジオを聞いたり、機内誌を読んだり、そのクロスワードパズルを考えたり、何やかにやしていた記憶があったけれど、今回は、本当にしばらくぶりの飛行なので、窓の外をあっちこっち(といっても雲と空の近い遠いだけなのだが)見ているだけで時間は過ぎ、再び雲に入って一気に薄暗くなって、視界が開けると、おもっていたより遥かに日差しの強い那覇空港だった。あんなに厚く日差しを遮る雲だったはずなのに、地上はいくつかの雲が青い空にポワポワ浮かぶだけの天候だった。不思議。沖縄に住んでいる娘の悠記が出口に来ていた。
その日は、那覇のホテル泊だったので、荷物を置いてから彼女と国際通りをあっちこっち。どんどん東京化は進んでいて、道路も拡張され、だいぶ様相は変わってはいるが、大体のところは前に来た時の記憶で動ける。かねて目標のビルケンシュトック那覇直営店で、ちゃんと店員さんに相談に乗ってもらってアテネを買う。仙台には相談に乗ってくれる店員のいるビルケンの店がなくなってしまった。その次はサープラスショップ巡りだが、ここ数年でその手の店は一気に減ったとの事で、僕がひいきにしていた店(米国だけでなく世界中の軍用流出品を扱っていた)もなくなっていた。僕の方も、欲しいものはもうだいぶ補充できてしまっているので、そうそうに切り上げ。公設市場をひやかしながらうねうねと通り過ぎ、裏手の感じのいいカフェでお茶。沖縄のこういう店は、基本的にガランという感じにしか席を作っていない(要するに席数が少ないのだ)のでしばらく居ても気持ちいい。かつ、相当感じ良いのにすいている。というより込んでいるのを見た事がない。そう思って考えると、ハンバーガーショップとかは混んでいる。僕が混んでいる店に行かないだけか。夕方、首里の福久屋で彼女の友人(同級生)二人も混じって4人で沖縄家庭料理のうまいのを、話をしながらユックリ食う。明日はバスで沖縄市(旧コザ)に行くんだと行ったら、友人のひとりが、それなら28番に乗れば良いとキッパリ教えてくれた。ありがたい。しかしこれは沖縄流混乱のハシリだった事が後にわかる。その他良い質問があって、つい美術館での活動のような話をしてしまい、やや反省しながらホテルに戻って、天気予報も見ずに寝る。
次の日普通に起き、少しヨガの呼吸法などをして息を整え、全く普通のホテルのバイキング朝飯を和風中心でおかずは洋風にしっかり食べて移動の準備をし、フロントにチェックアウトのため寄る。そこで確認のため、沖縄市へは28番のバスでしたよねえと聞いてしまったのが混乱の始まりだった。聞いた年配のホテルマンは、キッパリと「いや、27番です。この前行って来たばっかりだから間違いはありません。」と言うんだな。バス停は国際通り、ホテルの前の松尾バスターミナルで待っていればよい。でも一応那覇バスターミナルに聞いてみましょう。すると時間が時間だから(と本土から来た人ー僕の事ねーは考えた)電話は当然混んでいてなかなか繋がらない。その間に別のアロハシャツのお兄さんが時刻表で調べてくれて、那覇からでるバスには二つのルートがあって、松尾は通らないのもある事が判明。番号も、やっぱり28番かもしれないと言い始める。「ええと、すみません、ありがとうございました。那覇のバスターミナルは歩いてちょっとの所ですから、まずそっちに行ってみます。」まだ、どっちが正しいかについてけっこう真剣に検討しているフロントの人々にお礼を言って、僕は荷物を担いで急いで外に出た。なんかこういうの嬉しいねえ。沖縄に来た感じがビンビンするねえ。
那覇国際通りを南に下がりその行き止まりにある那覇バスターミナルに歩いて行く。10分もかからない。広い駐車場みたいなコンクリートの広場を囲んで2階建ての建物が昔の飛行場のように並ぶターミナルにつく。普通、こういう所にはメインインフォメーションがあって、僕のような旅行者のまず最初の相談に乗ってくれるものだと思っている(そのため、来てみたんですが)人にとって、ここはそういう常識は通用しない事を思い知らされる。たぶんメインエントランスに着いたのだと、僕は未だに思っているのだが、周りをウロウロしてみても、そこにはなんの表示も見つけられないのだった。せめてこのターミナルの配置図だけでもと思ったがそれもない。南の湿気った空気に表面にカビが生え、バスの排気ガスで薄黒く汚れたコンクリートの古く長い建物があって広いバスプールを挟んだ反対側にこれまた長い簡単な屋根のついたプラットホーム。建物の所々にドアがあり、その前に、那覇、沖縄、東海、琉球などのバス会社の名前の看板が出ているだけ。いやはや、東南アジアだねえ。金曜日なのに時間が早いせいか(後で聞いた所によると、那覇はすべてが12時から始まるという事だった)歩いている人もいない。こういう時はどうしたらいいのだろう。一番近くにあった、定期券定期バス券売り場と表示の出ている東海バスの小さなガラス窓をのぞいたら、お姉さんが中にいた。「すみません、コザに行きたいんですけど、どこで聞いたらいいでしょう。」お姉さんはややあわてたような感じで「ここは定期券売り場なので隣の那覇バスで聞いてちょうだい。」と言う。那覇以外の町に行くんだけど、那覇バスなんだ。アアそうか、仙台市営だって昔は岩沼まで来てたもんなあ、などと考えながら、お礼を言ってその窓口から左にだいぶはなれた所にある那覇バス会社と書かれた鉄サッシ波ガラスドアを開ける。けっこう重い。中は広い部屋だった。はいった所にカウンターがあって、そこで切符とか売ってるみたい。若いお姉さんがひとり。「あのう、コザにバスで行こうと思うんですけど、相談に乗ってもらえますか?」。おっと、この人日本語通じないのかな、という反応を彼女は見せた。一瞬、目が泳いだのだ。こういう時はどうしたらいいのだろう、再び。深呼吸をしてもう一度ユックリ言ってみようと思ったら、部屋の隅から何かがドッと走って来た。最初に聞いたあの小窓の中のお姉さんだった。同じ部屋だったのだ。広い部屋のあっちはじに小窓があって、こっちはじがカウンター。走って来て息を切らしながら言うには「コザに行くんだったら琉球バスに聞くといいよ」だった。いやあ、話の内容がだいぶ違ってるけど、僕がここまで歩いてくる間に思い出したんだね。もうこうなったらどこまでだって驚かずに行くぞと、心を決めて、外に出て琉球バスを探す。大体こういうときに限って、その会社は建物のずうっとはじっこにあるんだな。
メインの建物の本当にはじっこに琉球バスはあった。ドアを開けると、ここは男の人たちだけがいた。一番年配の人が用件を聞いてくれて、でも彼はよくわかんなくて、つなぎを来た若いお兄さんにコザ行きのバスを調べるように言ってくれる。「90番と23番!で、両方とも!8時35分発」であることがわかる。僕の腕時計は8時30分を少し超え始めていた。だから、ここで、90番!23番!、27/28はどこにいってしまったんだ!とか、両方とも同じ時刻発!とかに、いちいち動揺感動している暇はない。乗り場はさっき見た、反対側にかすんでいるプラットホームにあるという。何しろ那覇で琉球!バスに乗って、那覇でない!コザまで行くのだから、そんなに遠くはないと言ったって、仙台から古川ぐらいははなれているに違いないと思っている本土から来たなれない旅行者(僕のことね)は、バスに乗る前におしっこをしてとか、何か水分を買ってとか思うよね。しかしもう時刻は35分なのだった。こういう時のために、僕の時計はたいてい2分進んで表示してある。しかし、ここまで、このような状況で進んで来て、走っていってそのバスに乗るのは、正しくこの旅行の本質に合致するのだろうか。要するに、もうこうなったら、あんまり焦ってもしょうがないよねえの悟り状態に僕はなっていた。バスプールを横切るただ地面の上にペンキで線を引いた横断歩道を横切り、プラットホームの上にあった便所により(ちょっとホッとした)、その前にある自動販売機で小さいお茶を買い、さて、23番乗り場はどこかな。それまで、僕は、乗り場は番号順に並んでいるのだろうと思っていた。ならば、23番と90番はひどくはなれているだろう。仙台で言えば、23番は駅前のバスプールにあって、90番は電力ビルの前とかさ。で、同時刻発車だから、90番はこの際あきらめよう。那覇は違っていた。便所から出た所が23番で、その隣!が90番だったのだ。いやはや。23番は誰も何もいなかったが、90番のバスは既に来ていた。けっこう大型の観光バスのような車だった。ますます、遠くまで行くんだ、みたいな気分になる。さっそく乗り込んで空いていた一番前の、観光バスなら車掌さんが座るためのような独りがけの席に座る。昨晩悠記に言われていたので、運転手さんに「胡屋十字路通りますか」と聞く。彼は静かにうなずいた。おっと整理券をとるんだったね。やや時間が過ぎてバスは出発した。23番は誰も何も来ないままだった。こういうことをいちいち気にしていては、沖縄では話は先に進まない。いやはやとにかく僕はバスに乗ってコザをめざして出発した。沖縄いいねえ、ほんとに心からなんだかニコニコしてくる。
バスは普通の定期路線バスのように街角ごとに停留所に泊まりながら国際通りを抜け、郊外の国道330号線に出た。沖縄の郊外の変貌はもの凄い。那覇を出て以来、ずうっとニュータウンの団地とショッピングセンターが続く。この辺りで、僕の席の上に、停留所の名前が順番に書いてある表示に気付いた。幾つかの大きな停留所の間に二つか三つ程の名前が書いてある。まだ、凄く遠くまで行くと信じている僕は、この程度の停留所の数でコザに着くはずはないと思っていて、たぶんこの名前の間により小さい停留所がたくさんあるに違いないと思っていた。でも、注意していると、どうも書かれている名前の停留所にしか停まらないようなのだ。コザって結構近くなのかもしれない。そう思って表の前の方まで名前をチェックしてみると、胡屋十字路なんて停留所はない。でも胡屋という停留所の少し先にコザ十字路という名前があった。運転手さんは、胡屋とコザと聞き間違えたのではなかろうか。どうも、沖縄は、僕の中にある様々な定規を修正しながら考えないといけないようだ。でも、いざとなったら歩いてい行けばいいんだな、もう同じ島の中にいるのだし、荷物はリュックサック一つだし。いやあ面白くなって来ましたねえ。
ええと、ふと気付いたら今日は既に5日です。でも、やっと那覇をバスで出た所までしか書いていない。いっぺんここで止めよう。中身の濃い4日間はとにかく無事すぎて、僕は仙台に戻り、社会復帰して毎日元気に美術館に通う生活に戻った。昨日、お父さんのひとりごと2版の校正が上がって来た。なんだか、僕は波の上に不安定に振り落とされないように一生懸命乗っていて、足の下の波が僕を乗せて勝手にガンガン動いているような感じ。せめて、波がどっちに進むのか注意していようと思う。