沖縄珍道中の続き。コザ編。前に書いたような様々な出来事を経て、結局僕は、胡屋でバスを降りた。手元にあったものすごく簡単なコザの地図で、僕が行きたい悠記さんたちの家は胡屋で降りるのが最も近そうだと判断したからだ。コザ十字路はそこからまだ3つ程先の停留所だった。そっちにもちょっと心引かれるが、今回は断念。沖縄は元々が島なので僕が考えているよりはるかに狭いのだ。那覇とコザは隣同士の感じ。那覇から途切れなく続く(切れている所は基地)家々の先にいつの間にかコザはあった。
バスを降りて少し戻った所に大きな十字路があり(後に、ここが胡屋十字路であることが判明)、建物は低い。福島というより、白石や古川の駅前通りの感じ。十字路に面した建物の壁にある標識には、ここが胡屋2丁目9番地であると書いてある。すばらしい、僕が行きたいのは胡屋2丁目7番地。なんて言うのは(何回も言うが)あてにしてはいけない。ここは沖縄だぜ。少し!迷って歩き回って結局行き付けず(ブロックをたどって9番、8番と来ているのに、次のブロックが6番になってしまってどうしても7番のブロックが見つからない)携帯電話をかけ、道に出て来てもらって(ええっ!この細い三角のはじっこが7かよ、だった)、やっと悠記さんと再会。コザはまだ昔の沖縄が(那覇よりは)遺っている感じで、歩いている人も少ない。とは言え、彼らの家は、あそこにあったんでは、ちょっと見つかんないねという所だった。道の奥の路地を回ってその奥の右側、開けちゃいけない感じの鉄扉開いた奥。仙台に住む妹と感じがよくにた場所と家だったのでにんまりしてしまう。齋さんちの人って自然にこういう所に隠れ?住むんだねえ。一息入れて、すぐお散歩に出る。軽い現状視察。入れ墨(タトゥー)屋さんと刺繍(ワッペン)屋さんが気になるけれど、どちらも、今の僕にはすぐどうこうというものではない。退職したら入れ墨してみようかなあ。でもそうすると、ほとんどの日本の温泉には入れなくなってしまうのだろうか。というようなことを考えながら、一応、入れるとしたらこれかななどとウインドウショッピング。コザの基本的な店はアメリカの兵隊たちの文化に敏感に反応しているので、全体として今はヒップホップで、あんまり僕の好みとは合わない所が多かった。サープラス屋さんには、訓練用の小銃(重さだけ同じで無可動)なんかもおいてあり(非売品)、ちょっと触っていいですか。
最終的に沖縄こどもの国という動物園とチルドレンズーミュージアムが一緒になったような所にたどり着く。沖縄唯一の動物園は、山の谷間を下りながら見て行く。オオアリクイや、コアラなんかもいるけっこうしっかりした動物園だった。ワニと蛇の種類の多さ、象やキリンの人なつっこさ。ヤギの飼い方。それにも増して、表に出ている(来館者に見えるようにいる)飼育係の多さ。3頭いた像おのおのにそれぞれ係の人がついていて、彼らと何やら親密な話をしている。たいてい動物園に飼われている動物たちは、みんなノイローゼになっていることが多いけれど、ここの動物たちは比較的元気そうなのが多かった。チンパンジーはうろうろせず、虎は僕の方をきちんとにらみ、像は愛嬌よく鼻を上げた。チルドレンズミュージアムは、霊山の延長線上にあって、様々な意味で難しい所だな。カリフォルニアのエクスプラトリウム?のコンセプトを研究してそこから自分で考えて始めれば、日本人はもっとオリジナリティーの高いこういうものを(善し悪しで無く)作れると思うのだが。どうも何かが納得できない自分がいる。
悠記や、同居人のKZはこの日普通通りの仕事の日だから、午後からはほとんど僕ひとりでコザのメインストリート?をユックリ歩き回る。5時前に帰って、風通しのいい板の間で軽くお昼(夕方か)寝をしていた。ほんとになんだか気持ちいいね。いつの間にかしっかり寝てしまって、みんながゴソゴソ帰って来たので起きる。遅めの(沖縄では普通の)夕食はなぜか鍋。こんなに食うの?という量の野菜が、どんどんなくなる。そうか、岩沼の家はもうすっかり老人の家だったのだなあと改めて実感。つられて食べ過ぎないように白菜を食べる。肉も少しまわしてもらって食べる。ついどんどん食べる。
彼らは街の中に住んでいるのだけれど、汲取式外便所に、シャワーだけの風呂場。沖縄の若者の家としては普通。両方とも、手作りで適当に(ここ大切)でも丁寧に改装してあって、快適。彼らは両人とも僕よりやや小柄なので、僕にはちょっと引っかかる所がある広さと高さなのだが、そのタイト感がへんに落ち着く。おじいさんの僕は夜に起きておしっこにいくのだが、それ自体が探検みたいだ。外に出るためのビーサン(ビーチサンダルね)がもうヘタリにヘタっていて、うまく足の指が入らない。つい笑ってしまう。暗闇の中、懐中電灯をたよりに(もちろん裸電球が一つ下がっているのだが)家の中を移動し外に出る。みんな寝てるのだから、できるだけ静かに行こうと思うのだが、何しろ床自体がそこいらへんから集めて来た(多分)廃材の組み合わせだから、歩くたびに盛大な音が出る。本物のうぐいすばりなのだ。結局普通に行くのが一番早く静か。朝までしっかり熟睡。ああそういえば、歯磨くの忘れちゃったけど、ま、いいか。
土曜日。朝普通に起きて着替えをし、簡単だけれど美味しいサンドウイッチの朝飯をみんなで食べ、悠記のダイハツミラで水族館に向かう。美ゅら海水族館。地元の人たちしかわからない近道を通って高速道路に乗り、どんどん北上。
途中のアイスクリン売りとか、塀の中のアメリカとか、塀の外のジャングルとか、ジャングルなのに立ち枯れる松の木とか、本土と同じ、しかし色の違う砂利取り山とか、満ち潮のマングローブとか全部省略して、海洋博跡国立公園に着いたことにしよう。そうでないとしばらく、この話が続いてしまう。
公園は、大変に広いものだった。最初に見えたのはバベルの塔。あれは何だと聞いたら、植物園の一部だという。そこは、公園の東のはじっこなのだった。東端から入ると植物園入り口。そこからしばらく、本当にしばらく、立派な道路を行った西のはじっこに水族館側の入り口があった。入場料はなし。隅々まで人工的に作られた巨大な公園にはいる。凄い大きな建物の水族館。建物に入るときに大人は一人1800円かかる。ほとんどの部分は、これまでどこかで見たことのあるものだったが、大水槽だけはここに来てみることができる体験だった。2匹(頭?)のジンベイザメと5匹のマンタ。それらを下のトンネルから見上げることができる。横から見ているときには(多分光の屈折のせいで)納得のいく大きさだったのだが、床に寝そべって見上げている視界に横からズズウーッとせり出して来て、いつまでもせり出し続ける感じ。普及部の創作室が一辺12メートルだから、彼らはそれを超える。そう、あの天井を超える大きさのものがズズウーッと浮かんで進んで行き、空からの光を遮って行く。昨日、像をすぐそばで見ていやはやと思ったのだけれど、海ん中はそれどころではない。なんなのあの大きさは。しばらく声と息をのんで、少しなれないかなあと思って寝そべって見ていたのだけれど、何回回って来ても新たに驚いて、怖い。この感じは、やっぱり、怖いだと思うなあ。ということがわかったので先に進む。
とにかくデカイの感嘆の後、外に出てごく軽く昼飯を食って、ココナッツジュースを飲んで、ウミガメの様々やイルカのショウを見る。建物の外はこういうのも含めて基本的に無料。天気快調。気持ち良い海風。この後若い人たちと別れて、ひとりで沖縄の古い建物を集めたエリアと、海洋博の時に収集された世界のカヌーの展示を充分に楽しむ。沖縄の古い建物群には、これから僕の庭を造って行くときの(内側にも外側にも)深いヒントが(やはりすでに)あった。そして木造の大きいカヌー達も。時空(とき)の彼方を過ぎる空船(ふね)。外側に広がる、僕の内側の広がり方。しばらくほとんどボオーっと古い船の側で過ごす時間。海岸から沖に向かって直角に漕ぎだす意識(勇気とかではなく)は、僕にも未だにあるのだろうか。
帰りは、下道をくねくねと通って帰る。途中道の駅によって、やっぱりあれだけカヌー見ちゃったんだからね、と海んちゅ用のクバ笠(本格仕様)を、持って帰る時の困難を無視して、買う。コザに戻り、土曜でほとんどの店が閉まっているのをかいくぐって、本格沖縄そばを食う。歯を磨いて寝る。この夜も快眠。
最終日、僕はKZの軽トラックで空港まで送ってもらって、再び窓の外を見ながら仙台に戻り霧雨の岩沼に着いた。那覇は26度で、岩沼は16度だった。でも、今日はここまでにしよう。機会があったら、最後の日の飛行機について、また。