2009年 7月 10日 昼から深い青色の空に、光る白い雲が早く流れる。乾いた強い風の吹く湿った暑い日。

この1週間はせわしなく過ぎた。6日、今月から介護の拠点がグループホームに変わった胞夫さんの移動手続き、午前中。午後から仙台に出て、IQ150三昧。2時からと19時30分からと演劇2本見る。次の日市内M保育園年長組と美術館探検+粘土作り。その次の日も、山形からはるばる毎年来てくれるH保育園年長組と美術館探検+粘土作り。帰りにプールに寄って水泳ぎなど!1時間半。その次の日は、美術系大学付属高校の保育科の3年生男女35名と美術探検+美術館探検、午前中。午後から小中学校の先生たちと、小中教育での図工美術連携についての相談。帰り、定例の鍼灸1時間半で、心身のリセット。
今日、やっと一日休み。7時半まで3度寝して、洗濯をして胞夫さんの病院関係手当のため、介護施設に寄ってから、行きつけの病院二つを自転車で回り先生たちと相談。ついに今日までにしなければいけないことが終了したので、行きたかったけど時間が取れなかった、山下の野外博物館総合案内所にカミサンと一緒に車で出かけ、その流れで北六食堂に僕らの誕生会のための昼食を食べにいき、ご無沙汰だった、モーターサイクル関係のお店によりながら帰宅。ふうーっ。


IQ150はちょうど、僕が美術館に関わったあたりから仙台で活動を始めた、丹野久美子という元気のいい女子が率いる演劇集団で、早くから清く正しく質の高い、仕事としての演劇を見せてくれる人たちだった。清く正しくなんて言うと、本人たちはいやがるかもしれないが、彼らのやっていること演じていることこそが、実はそういうことなのではないかと僕は見るたび思う。たいていは包腹絶到の彼らの芝居から、しかし毎回、僕は自分のしている仕事や人生の肯定感と共鳴感を分けてもらっている。始まった頃にいた幾人かは各々独立していて、ちょっと前に、そのうちの一人(男子)が演出主演した劇を見た上での今回だったので、彼女、彼、彼等を巡る様々な思いは深かった。
この30年程の年月の間に、公務員をやっていた僕の身に起きたことですらイヤハヤ何ともな訳だから、多分彼らに起きたことは、僕などには想像を絶する程のことだったろうとは思う。しかし僕らの身の回りで起こったことは共通していて、同じ時代の同じにおいを嗅いでいる。そのことが彼らの芝居からは常に強く伝わってくる。多分、僕と彼等は同じ方向でものを見ていることが多いのだと思いたい。
良い表現が常にそうであるように、それは、作者の意図を全く無視しても大丈夫な程、強く現れてくる。作者や演出家が何を言いたかったのかなんてある時点からほとんどどうでも良いことのように思える程、観客各自が各自の世界に浸り始めているように、あの空間に一緒にいると思えてくる。同じ芝居を同じ時間と空間で見ているのに、各自が各自、違うことを深く思い出し味わっている顔をしている。各自が思い出しているのだから、それらは全部違うことなのだけれど、見ているものは同じなので、全部違うのに深い底の部分では繋がっていることが何となくわかるというような不思議な一体感。それを同じ日に続けて2回。
これは、もしかすると作演出が女子だったからかもしれない。そのすぐ前に見た彼の作演出主演の演劇は、同じような話ではあったのだけれど、何だろう、悪い意味ではなく何となく上滑り気味に思えたのだった。最後のギリギリの所に来ると、男子はやっぱりそういう方向に走り、女子はリアルに本音で物事を話し始めるというような。良いとか悪いとかなんか既に遥かに超えたあたりでの、しかし、しんみり笑えるお話の芝居。なかなか良い一日だった、疲れたけれど。
僕は今日で58歳になった。カミサンは4日にすでになっている。昼飯を食いにいく車の中で数えたら、僕たちはもう30年を遥かに超えて一緒に生活を続けているのだった。またこの一年を丁寧に、しかし、何時逝っても良いように生きていこうと思う。