2009年 8月21日  今日も曇り。暑く厚い曇り。


最近このブログの更新の度合いが頻繁なのは、特に意識してのことではない。本人は以前と同じ感じで書いているのだが、ふと振り返ると、最近はほぼ毎日書いていたんだねえ。更新の仕方や手順は冷静に考えれば前のスタイルの時とほとんど変わらないのだけれど、ううむそうか、マイクロソフト系からアップル系に変わったのが大きいな。理科系から文科系へ。わかる人にしかわからないかもしれないが、これは大変大きな問題だと僕は考えている。今の世界は、みんな意識しないうちにウインドウズの仕組みで物事が考えられ進められているように見える。だから会議がつまらないのだ。本当なら物事を進め展開して行くために、みんなで知恵を出し合うのって、凄く面白いことなはずなのに。俺だけかなあ、これ感じてるの。いかんこっちに行きそうだ。話題を戻そう。
新たなブログは、マッキントッシュのiWebで更新できるようになったので、何となく自分の土俵で文章やページの組み立てをしているように感じられるようになった。とは言え既にできている枠の中で動き回ることについて、少しいずいなと感じているのは前に書いた。とは言え、こっちの土俵での作業は、前よりは気楽にできる。
それから、7月は、気付いたら倒れてしまっていた程なんだか気ぜわしかったが、8月に入って様々な事情が変わって(活動の量はそんなに変わらないが)まわりを見ながら仕事ができるようになった。昨日も3年生の団体で大混乱だったが、今日予約されている活動はほとんど打ち合わせだけだ。ほぼ一日ひっきりなしだが。
同様の理由から、通勤が元に戻って電車及び徒歩主体になった。出勤のほとんど毎日、仙台駅から美術館まで往復歩いている。家から駅までパパチャリで5分+電車20分+仙台駅美術館徒歩45分。帰りは本屋や買い物などが入ることもあるのでもう少し時間がかかる。荷物があることが事前にわかっている時だけカングー(車)を使うが、後は歩く。歩くといろいろなことやものをユックリ見ることができる。目から入る情報の刺激は、僕の記憶の中から様々なファイルを、とりとめもなく引き出してくる。歩いていると時間は歩く速度で進むから、それらのファイルを点検する時間ができる。とりとめないファイルの組み合わせは、そこから始まる世界の幅を、きちんと整理されたファイルの組み合わせで始まるものより、一気にかつ圧倒的に拡大しやすい。もちろん良い時も悪い時もあるが。歩いている時に思い出し考えることのあらかたは歩くのが終了すると忘れてしまうが、終了しても忘れなかったり、思い出せることが少しは残る。それをメモするようにブログにアップする。
文字化することによって世界は確定する。ほとんど自分のためだ。こういうことが重なって、ブログの更新の度合いが早くなっているのだろう。