しばらくぶりに更新する。今回更新が途絶えたのは別に入院していたからではない。10月30日に、造形教育大会東北大会仙台大会があった。今週は、ここを中心に生活が回るはずだったが、そんなに緊張することもなく過ぎた。なのでかえってぼんやりと終わったなあと思っているうちに、月が変わってしまっている。
今日あたりから天気図的には冬になるとラジオで言っていたので、今朝は結構冬支度で家を出たのに、なんだかぼんやりと生暖かいまま夜になった。それでも帰りに北仙台の二輪工房に寄って冬用のサイクルキャップを買ってきた。帽子はたくさん持っているが、気に入ったモノばかりをかぶることが多いので、一気にくたびれてくる。いろいろなことを、点検し整理しようと思う。
今回の造形大会は、ずいぶんと初めの頃から相談に乗ることができたので、こちらの思い込みを修正する事ができるあたりから話し合いに参加できた。そのため、授業の点検助言だけなどより、収穫は多かった。
造形大会は、図工美術教育の先生たちの研究発表会で、各県ごとに行うのとは別に東北6県持ち回りで大きい規模での話し合いをして行く。今年は宮城の番で仙台市図工美術教育研究会(名称不確実)が主催した。教育委員会とかは、あんまり関わらないようだったのが面白かった。
義務教育での美術教育は、なぜか日本では造形教育と呼ばれていて、そういう名称の会合に呼ばれた時は「僕、造形教育は苦手」と言うことにしている。造形と美術の言葉の違いを真面目に検討しても面白いが、まず、造形はわからないけど美術の話はできるよ、と美術館の人に言われた時に各自がその何気なく使ってきた言葉についての概念を点検し始めるところが大切だと思う。点検さえすれば、実は同じだったでもかまわないのだ。造形教育の大会なのに、是非美術館でしたいというのも、それはなぜかについては特に誰も文句を言わないのはなぜだ?と言うふうに、美術館から見ていると学校での美術教育では様々不思議なことが立て続けに起こる。だが前に述べたように、今回はそうなるだいぶ前から一緒に考えられたので少なくとも小学校は順調に快調に進んだと思う。小学校の先生をやるためには、豊で深い大人であることがその基本に必要なので、美術の話の伝わり方理解のしかたが、簡単で早い。一方中学校は、まず教える教科の専門家であることが問われるので、人間的な完成度合いの点検がどうもおろそかで甘いように僕には見える。美術の専門家であることはこの話とは逆のように思えるのだが、日本での美術家の立場は、どうも違っていて、そのことを誰も点検しない。と言うような感じも今回はだいぶあからさまに出て、そこを巡って考えることができたが、まとめるにはもう少し時間がかかりそうだ。
音楽体育美術と言う表現を巡る3教科をプライマリー(基礎基本)教育のうちに全員にさせておくという日本の教育体系は結構これからの地球上の人類にはすごく大切なことになってくるように僕には思えるのだが。