2009年12月 5日  始め曇。午後冷たく小さい雨。夜強く屋根を打つ。


東京から帰ってきた。4日に都図研の研究大会が板橋区成増であって、そこで授業を見てお話。東京都の図工は専科(中学校のように専門の先生がやる)なので、都図研の研究大会に集まるのは全員図工(美術)の専門家。そういう人たちがおおよそ800人から1000人集まる。びっくり。宮城県出身の若い人も数人いた。開会の挨拶だけでしばらく続く。びっくり。夜遅くまでいて、泊まって今朝帰ってきた。

小学校で専科だと言うことは結構特殊で、そこで話される内容もだからだいぶ特殊。どう見たって、1年生と6年生はまったく違う自意識の基に生活を送っているのに、なんか美術、いや図工という枠で一緒にくくって無理矢理何かをしているように見える。それにほとんどの人は気付いていないようで、ごく少数の人がどうもやり辛いと気付き始めている感じ。そのあたりで、僕が呼ばれたみたい。授業の指導案とかの講評ではなく、美術は教育にどのように関われるのかについて話して、と言われた。ううむ、外野から見ていると、専門家(子供を見るではなく美術をする)であればあるほど、対象の子供は授業の中にどんどんいなくなっていく。たとえば土粘土を与えるのはとてもいいのだが、それを手渡された子供達が「ワー手につくんだ」と言ってみんなに手のひらを見せているのは無視されて、それを使って何をどう作るかに話がすぐ行ってしまう。小学校でする図工は「あっ、土の(本当の)粘土って、こういう風に手につくんだ。こういうのは気持ちいいって言うのかな、気持ち悪いのかな」という所をこそ大切に授業始めるのが面白いんじゃないかなあ。というような場面が次々様々起こる。

仙台だと図工の研究会に出てくる人は、国語だったり社会だったり理科だったりが大学卒業時の専門だけど、それより何より小学校の先生が専門(普通の真剣正直な大人というような意味で)のうえで図工面白そうと言うスタンスの先生なので、ここの辺りの子供の気配に気付きやすい。美術の専門家はどうも(中学校の先生達のように)鈍い。なぜ基礎的な教育の時期に表現系の授業があるのか考えようというような話をして、お話の時間が短いから、全体会終了後のレセプションの時に質問や文句のある人は話を聞こうと話を追えた。結構たくさんの人が終わってすぐから「面白かった」や「これまでモヤモヤしていたものがすっきりした」とか「これで美術教師を続ける指針が見えた」とか、話しかけてくれるのだが、質問は無い。そういえばどこでも僕の話のあとは同じ状況になる。余りに非常識無分別なので、取りつく島がないのだろう。そういう所こそが、同時代に対する非常識無分別こそが、美術の存在意義だったはずなので、こういう状況は当然だと思う事にしよう。