2010年 3月17日  朝から風強く快晴。

特に忙しいという訳ではないのだが,最近、家にたどり着くとグッタリしていて,ダラダラとテレビを見て何もせずに寝るという,自分でも何だか嫌だなあという時間の過ごし方をしている。更新が途切れているのはそのせいで,入院しているとかいう訳ではない。心臓にダメージが出て以来,それまで数ヶ月おきだった病院での検査が毎月になった。2月には心電図の検査をしてもらい今の所問題なし。単純に嬉しい。体調は良いのに精神が不調。運動不足だな。


この時期、美術館は絵に描いたような端境期でほとんどの時間がデスクワークだ。そういうの苦手とかういのではなく,美術館を巡る机上の仕事に情熱が無くなっているという感じ。美術館が始まった頃からしばらくは,全部自分でしていた(正しくは、様々な先輩に広く深く助けてもらっていた訳だけれど)わけで、活動をお金に換えて組み立て直していく作業などは、様々な意味でビックリ感動的で嫌いではないのだけれど,最近はもういいやという感じ。できる所はここまではできて、できない所はなぜできないかあたりが,何となくわかってきてしまったからだろうか。スタッフに優秀な教頭先生と教務主任みたいな人たちがいるので、そういう態度に拍車がかかる。

でも本当のことを言うと,最近は思い付いた事をすぐ忘れてしまうのだ。思考があっちこっちに脈絡なく飛び跳ねる。本当はそういう所が僕の考え方の良い所で,一見脈絡がなさそうな所に関係性を紡ぎ出していく所に新たな展開が見えてくる事が多かった。最近,その連絡性が出てくる前に,何かありそうだとは思いながら、しかし突き詰めずに次に移っていってしまっている気がする。こういうのって認知症(特にアルツハイマー)の初期症状なのではなかっただろうか。一応書き留めておこうと思う。


例えば予算を組み立てるというような極一般的な事務仕事であっても,僕は何だか,みんなと同じとかこれまで通りとかいうのが苦手,というか嫌いなのだなあと最近わかった。

みんなと違うというより,やっている事は同じように見えても,その活動の目的はこれまで考えられてきたものとは違う所にあったのではないかというあたりから予算を組み立てたりするので,細部が微妙に違ってしまうのだと、今ではわかる。でもやっている事は同じに見えるので,事務の人や同僚にはいちいち直される。最近それの説明が面倒くさい。説明しないで彼等が理解できる方向で話を進めても,やる事は同じだから表面的には問題ないように見える。彼等のやり方での予算にはんこを押してしまう。でもそうしてきたからこうなったんだけどなあと思いつつ。この辺の説明は一言では言えないので,深いストレスがたまる。一言で言ってみようと始めてみるのだが,頭は次々進んでいる気がするのに出てくる言葉が追いつかなかったり、そもそも言葉が出て来なかったり、話をする顔の筋肉が麻痺したりする。こんな事を考えてたり気にしたりしているとますますストレスがたまるので、もういいやという事になる。これでいいのかなあ。


いいわけないので,今日は一般仕事すべてを中止してS藤夫妻と「仙南、ほんとにこれでいいのお散歩」。いつもの海岸あたりの普通の部落周辺をぶらぶらと気持ちよく一日歩き回り、季節野菜のスパゲッティと石窯焼きのビザを食って、海をみて、やたら色々な所でお参りをしつつすごした。これでまたしばらく「ネクタイ労働」に戻れそうだ。