2011年 2月 6日  高曇り。乾燥注意法の出ている日の、湿った朝の空気。僕にとって最適の気温。


昨日朝起きて着替えをしている時、腰にギクッと来る時の前兆が走った。それ以来、腰を曲げるのではなく、膝を曲げて体を下げるようにしている。昨日一日、しばらくぶりの溶接作業を数時間したのだけが原因として考えられるが、そうか、僕の体は、もうあの程度でこうなるようになってしまったのだなと、少し動揺。冬だから運動しないといけない。

最近時間ができると、ミニ4駆の改造をしている。アメリカンフットボールとバスケットボールと相撲の中継がああるときはそれを見て、そうでないときは本当はローラー台にセットしたマウンテンバイクを15分踏むという生活をするはずだったのに、なんということだ。
井出先生(宮教大での僕の美術教育の先生)の昔書いた本をわざわざ古本屋で見つけ「これ齋さん好きなんじゃないか」と持ってきてくれた人がいた。読んだら、本当に好きで、というより、ううむ、僕の基本はここにあったのかと、開いていると思っていたのに知らないうちに目脂でくっついていた目を引っ張り開けられたような内容。今も、美術館開館時に買っておいた、彼の「幼年期の美術教育」を読み直している。
今読むと、このような美術と教育に向かう態度や考え方は幼年時に限ったことではなく、美術教育の必要性とその向かう所について、もう既に、この人たちはこのときから始めていたんだなあと、心震える思いだ。でも今、学校(基礎教育)における美術(表現)教育がこういう状況なのは、何がどうしたためなのだろうか。初めからしておけば、そんなに難しいことではないことなのに、こじれきる所まで来てしまうと、それを解いて真っすぐな糸に戻すのはもう無理のように感じる。これをそのままやるというのではなくても、この方向で問題を考えるという態度は、今の僕の有り様を大きく支えている。普通に進む時代は何を選択していくのかについて考えてしまった。