2011年 5月 6日  薄ら寒い曇り空。湿気った空気。


もう九日になっってしまった。この文は6日に書き始めたが、一日では書き終えられまかった。一文字一文字にしばらく考え込んだことを忘れずにいよう。

だいぶ家の中が片付いて来た(3/11本震と4/7余震以来、結局ずうっと後片付けが続いている)ので、集めていた震災(を巡って出て来て決心を迫られた、両親の遺品や引っ越しや自身の身の回りや何やかにやの、ひょっとして人生の整理整頓)ゴミを捨てに/出しにいくことにした。
調べてみると、岩沼の震災ゴミ置き場は海べりの南浜中央病院の東側の空き地だと言う。南浜中央病院は、津波で施設が(人は全員無事)全滅した病院だ。震災津波以来、小心者の僕は仙台東道路(今回の津波ではこの高速道路が津波の防波堤になった)から東(海)側には行かない/行けないようにしてきた。何でもきちんと見るのが基本だと言っているのに、今回は見るのが怖かった。いや違うな、つらかったが正しい。見てなくても聞いているだけで心が萎んでいく。だとしても否応無く、そこに行かなければいけない日は、ここに生活している限り、いつか来る/来た。何気ない顔をしながら、しかし実はそうとう決心して東道路の高架を海側に抜けた。良い天気の日だった。お日様がきちんと照っていると、なぜかもっと怖い。
(何時も、何回も行って散歩した)知っている場所を、(メディアを通して見、聞きした)知っていることを確認しながら見る。ううむ。ううむ。ううむ。

表現する美術はほとんど何もできないだろう。そこに広がる状況は現代美術を、鼻で笑って超えている/いた。
でも、インスタレーションを見る力の方は、そこにある状況をより深く心に刻む力になる。というようなことは、ま、どうでもいいんだなということがすぐに圧倒的に解る。私の想像力なんて、笑っちゃうしかないのだということがすぐに圧倒的に解る。そうか、こういう感じを持つことができる為に、歳を重ねて来ていたのか。勉強をしてきていたのか。

なんか、みんなこれからの(人間社会)復旧復興をどうするかなんて話を、あちらこちらで一生懸命しているようだが、地球(自然)の復旧復興は大丈夫なんだろうか、ここまで地球をやっつけてきてしまっているのに。というようなことを言うのも、何だか違う。地球の上にいる生物の一種の生き残りとして、僕はどういう態度を取るべきなのか。なんて言うことを、マッキントッシュの小型コンピュータで書いているというのは、どういうもんなんだろう。もう戻ることはできないんだということを自覚するとしても。

今、6日の午前9時過ぎで、僕はこれから自転車で長町まで行き、地下鉄と徒歩で、旭が丘の鍼灸院に体の調子を元に戻してもらいに行ってくる。何しろ、まず、自分が自分に戻ることからだ。