太陽がやるべきことは太陽に。
人間がやるべきことについて
真剣に考える。
人間は地球上の生物だ。
新年になっても、毎日何やかにや忙しく過ぎて行く。今日はやっと何もなくぼんやりと一日過ごせるかと思っていたら、美術館から沖縄によばれている活動にまつわる書類手続きの電話があり、書類不備を指摘され、心からグタッとしたところ。今日はあと、ADSLから光通信に変更するための手続きの電話もしなければいけなくて、もっとぐったりだったのだが、そちらは今帰って来ている娘がヤッてくれそうだ。というような塩梅に毎日がずうっと過ぎて来た。
過ぎたスケジュールのメモ。12月6日に上野国立西洋美術館講堂で全国美術館会議美術館教育研究会主催の学芸員研修会。社会教育から考える美術館教育。考え学ぶこと、甚だしく多し①。12月12日に10月末からやっていたフェルメール展終了②。終わった途端にこれまで美術館活動をしたかったのに、混んでいて来れなかった学校団体が連日3~4クラス来て教育部は大混雑。今年は震災の後始末のため年末年始のメインテナンス休館が12月19日から始まって1月13日までとやや長いので空いている/開いている期間の混み様が凄くなる。19日から美術館は休館になるが職員は出勤して様々な事務仕事。でも、創作室は閉まっている。僕は数日出て23日から休みに入り、年休その他を使って1月16日まで休むことにした。とは言え/そのため出勤中は連日人と会ってお話。休み前の病院廻り。今年最後の問い合わせなどが入る。休みに入ったらのんびりやろうと思っていたが、それはかなわず、28日に始まる明美さんの沖縄移動を巡る様々な手続きと準備で連日仙台に出る。そうこうしているうちに、クリスマスが来る。花山にある道の駅にたのんであった正月飾りができたという連絡③。館外でいくつかのNPOの人達との打ち合わせ④。そうこうしているうち、28日に明美さん沖縄へ出発⑤。30日に餅とアンコを受け取りに仙台に出て⑥、Suica定期を落とす。31日に届いていると仙台駅から連絡⑦。1日からは連日駅伝を見て過ごす。1日の駅伝終了後仙台に出て定期を受け取る。3日、下の娘家族が来る⑧。で、今日ブログの更新をしようかなというぐらいの余裕ができた。
何もした気がしていないのに、今書いてみると、こんなに動き回っていたのか。そしていまだに気忙しさが続いている。
①最近は生涯学習という言葉に変わってしまったので、最近僕たちのしている活動はなんかイベント企画のように思われているところがあるが、僕たちの仕事こそが教育だったのだ!を再び三たび思い知る。社会教育の基本をいかに押さえて活動を組み立てるか。その面白さと、影響の凄さを思い知った。
時代を振り返る話の90年代のところで、僕が昔書いた文章が資料として出て来て、ここに生涯学習の基礎が書いてあると紹介された時は、不思議な気がした。この文のことはすっかり失念。生涯学習に関してはしばらく考えてみなければいけない。
②フェルメール展は11万ちょっとの入場者数で、あと数百人足りず、宮城県美術館第2(トップは11万5千人のルノワール展)の記録だった。前売り開始後すぐ25万枚売れた。普通前売り券は全体の10%といわれているから、今回は25万人入るのかと思われた。そのため、共催のマスコミ各社は、初日から駐車場のガードマン等万全に手配した。しかし、開いてみたら、出だし低調。なかなか5万人に届かず。しかし11月中旬を過ぎて5万人を超えたという新聞記事が出ると、2日後に7万人になりすぐ10万人になった。そしてそこからまた停滞。美術好きではなく、みんな行くから私も行く人がそんなに興味を持たなかったのだろう。フェルメールの絵を見たい人は、前売り券を買って、始まってすぐ来て、その後も3回来たという人達。それ以外の人達は、フェルメールって誰?だったのだろう。
展覧会の入場者は沢山入ればいいというものでは全くないが、今回のような展覧会は、できるだけ沢山入ってもらって、これで数字を稼ぐというこちらの想いもあるから、もう少し入ってもらってもいいのになあ。内容は凄く面白くて良いものなのに、その面白いところがちょいと難しい。いくつかのことに気付くと全部が面白く見られるのに、そこに気付かないとただの昔の絵でしかなくなったりする。ネームバリューも、美術関係者が思っているよりなかったのかもしれない。やっぱり七十七銀行のカレンダーにならないと駄目なのか(ルノワールはなっている)というジョークがかわされた。
③僕の家では、正月に普通のしめ飾りではなく、藁縄を編んで作ったしっぽが稲束の亀の飾り物を、しばらく前から玄関の上に飾っている。その亀は、毎年花山の道の駅で手に入れていた。今年も、買いに行こうと思って電話をしたら、今年は作っていないとのことだった。震災があったのでいつもそれを作っているおじいさんが今年は作らなかったのだと言う。だいたい、そもそも稲藁を手に入れるのが最近では難しい。
「わかりました、僕の家では毎年この亀を楽しみにしていたのですが、それならしょうがありません」と話したら、丁度そこにそのおじいさんの孫という女の人がいて、おじいさんに携帯電話で聞いてみてくれた。おじいさんは「そういうことなら特別に作ってあげよう。稲藁もまだ刈り取ってないところがあったはずだから」ということになって、友人の分も含め3個作ってもらうことにお願いした。
数日過ぎて電話が来て「今年は田圃全部(コンバインで)刈ってしまっていたので藁が手に入らなかった。迫町の友人に聞いてみるから少し待ってもらえるか」ということだった。もちろん待っています、正月に間に合えば良いのです。しかしそこの田圃も刈り取りはすんでしまっていたという連絡が入る。これで終了だと思っていたらすぐ「一迫に古代米を作っている人がいて、そこはまだ刈っていないようなのでそこからもらうことにした。ただ古代米で作ると色が黒くなるがかまわないか」との連絡。いやはや、もうこうなったら、「待ってますから是非お願いします。」ということになりあの辺の農家挙げての亀作りになってしまった(ように仙台からは見えた)。できたという連絡が入って、12月26日に花山道の駅「自然薯(ジネンジョ)の郷」にとりに行く。
朝から冬型の低気圧が来ているから注意という日で、仙台から見る西北方面の空は真黒/暗。助手席にK子さんに乗ってもらって、少しゆっくり目に出発。色麻町にさしかかる辺りで猛吹雪。圧雪で道のセンターラインが見えない。路肩に止まって電話で花山の状況を聞いてみる。こっちは進むかどうか悩む程なのだが、相手はあっけらかんと「何でもないですよ」とのこと。前進。色麻町を出たら青空に白い雲が浮かぶ晴天になる。快調に花山に着いて、意気込んで道の駅に入ってみると、亀がいつもあるところに1匹飾ってあった。シッポがいつものやつよりやや黒い。700円。「おお、これだこれだ」。でもなぜ1匹なんだ? レジに聞くと、僕が頼んでおいた3匹は、すでに別に箱に入れてあった。で1匹500円だと言う。これは特別にお願いされたので、昔の値段で良いですとのこと。いやはや、なんだか逆のような気がするが。飾ってある亀と並んで短いしめ縄が売っていた。それは1000円。ええと、これも下さい。そこで昼ご飯を食べたら花山山荘温泉100円引きの券をくれたので、そこから国道を秋田の方に進んで、ここから先は冬期通行止めの所にある温泉に入る。この時期この辺りは誰もいない。貸し切り同様の山間の露天風呂。寒い時期長風呂をして脳内出血になったのだから、早々に、しかしゆったりはいって帰路に着く。もう日が傾き始めている。
帰りは花山からまっすぐ東に進み築館から4号線。特に渋滞もなく淡々と進む。だが行きと同じに大衡大和辺りで再び猛吹雪。ウインドウウオッシャー液が切れる。いやはや。僕は「備えよ常に!」の人(だった)なので、トランクに予備の液を積んである。ううむ、確かに積んであった!のだが、この冬に入ったとき、タンクに継ぎ足して使ってしまっていたのだ。こういう時にかぎって予備なし。ううむ。這々の態で大和町のガスステーションにヨロヨロと辿り着き、1L500円!(普通200円でしょう)のウインドウウオッシャー液を入れてもらい国道に戻る。これでもう大丈夫!ではなかった。夕方のラッシュが始まっていた。しかも、この時期、吹雪と光のページェントがらみで、大渋滞。ウオッシャー液1Lで持つんだろうかと思える進み方。ちょうど、もう一つ買わなければいけないものをムリヤリ思い出し、富谷町のモールに曲がる。モールの中のイエローハットで必要なものを手に入れ、これでまたあの渋滞に戻るのかとウンザリしながらふと目を上げると、そこにシネマコンプレックスがあるではないか。確か「タンタンの冒険」が面白いからお父さん見たらと、娘に言われていたことを思い出す。行ってみるとそれはやっていて、しかも時間もちょうど良い頃合い。ではそういうことにしましょうと、ポップコーンを買って入場。500人程入ると思われる会場に僕とK子さんの二人だけ。この日は月曜でレディスデイだからK子さんは1000円。僕は60歳を過ぎたので、老人!割引1000円。計2000円で、フルサイズのロードショウ。観客二人。いやはや良いのかこれで。
映画は、原作が面白いということはあるだろうが、大変良い出来で、まるで実写のようなマンガ。いやマンガのような実写か。こういうのを見ると、もうフィルムはどうなるんだとかいっている場合ではないなと思う。何はともあれ、ゆっくり、しかし息をつくのも忘れて2時間、あっという間の出来事だった。終わって外に出ると、あの渋滞もすっかりなくなっていて、どこでも自分の好きな道を通って帰宅。行く時はどうなることかと出発したが、最終的には大変に充実の一日だった。
④福祉関係NPOの人達によばれて、視覚障害の人達と行く美術鑑賞会についての相談。彼らのこれまでの話をよく聞いたあと、僕の答えは鑑賞のノウハウより前に、ものを見る意識に気付くお話。あなたの世界はあなたの頭の中にあることの自覚。美術は既に外にあるのではなく、各自が各自の頭の中にあるものやことに気付く練習として考えるというお話。鑑賞の練習もだが、今日の話をみんなで聞く会を早急にしたいということになった。
⑤しばらくぶりで仙台空港に行く。空港自体はほぼ前と同じに戻っていたけれど、廻りは真っ平らで、残っている家は骨だけで、内装や壁はすっかりなくなっていた。感想の言いようのない、ポカンとすべて/何かがなくなってしまっている感じ。明美さんはこちらが気をもむこともなく何事もないようにサッサと行ってしまった。気が抜ける。
⑥僕の家では、正月の餅を子平の平田餅店で買う。いつも家政に来てくれるK子さんが今年の分を持って来てくれることになっていたのだが、直前に体調を崩してしまって来れないと言う。しばらくぶりに仙台に帰って来ている高校時代の友人から会おうかという電話も来たので、10時に長町駅に出ることにした。
長町駅で友人に合い、地下鉄で仙台駅に出て自転車に乗り換え、北山まで行く。餅をひきとりよく行く蕎麦屋でうどんを食べて仙台駅に戻り、家電屋でソニーのリーダーという電子書籍を見て(これの方が文庫で池波正太郎を揃えるより様々な意味で経済的ではないか?)帰る。という予定でほぼその通りできた。
ただ、最後に仙台駅から電車に乗ろうとしたら、いつも入っている所にあるべきSuicaの定期が見当たらない。あわてて、しかし冷静に服中のポケット(冬なのでやたら多い)をひっくり返すも見つからず、諦めて、駅の交番に届けを出す。通勤6ヶ月のSuica定期。10月からだから今年の4月13日まで。デポジットしてあるお金、残り1500円。一緒に入れていた地下鉄のスキップカードも1500円程残り。ううむ、この程度の損失だったことを喜ぶべきか、などと考えていた。相当落胆。昔の感覚だと6ヶ月の定期を落とすというのは取り返しのつかない損失だった。帰りは「落としていなかった財布」から320円出して切符を買い戻る。岩沼駅で、一応駅の人に定期を落としたことを話したら、「すぐに使用停止手続きをして、同時に再発行手続きをすれば明日からまた使えますよ。再発行1000円かかるけど」と言われる。Suica定期は定期ではなくキャッシュカードだったのだ。現金や定期はそのカードにあるのではなくそのカードが登録してあるコンピュータにあったのだ。いやはや。さっそく手続き。いやはや。世間はなんということになっていた/るのだ。
⑦31日に家の固定電話に連絡。仙台駅忘れ物保管所から、定期が届いていますとのこと。Suicaに僕の家の電話番号も記憶してあるのだ。いやはや。1月2日までに取に行くことになる。1日実業団駅伝を見終わったあと電車で仙台駅まででて、引き取って来た。とは言え、もうこのカードは使用停止になっているので、家に帰ってはさみで細かく切って捨てた。
⑧28日に明美さんが沖縄に移動したあと、僕は一人で家にいた。思えば、僕は、これまで一人で生活をした経験がなかったのではないか、ということに思い当たった。少しはあったのかもしれないが、僕の意識できる所では、いつも誰かの所に下宿していたか、そうでない時期は明美さんとかがいたように思う。本当に一人でいると、家事のしめる割合は物凄いことになる。ほとんど予定通りにはすまず、時間ばかりが過ぎる。そうかこういう生き方が、一人暮らしだと始まるのだな。諦める所は諦め、楽しめる所は集中して楽しむ心がけ。いやはや、なんとも。
今読み返すと、いやはやばかりが目につくが、これどころではない書ききれないことがこの時期連日起こっていて、そうだなあ、ブログの更新なんかするどころではなかったのだなあ、と今更ながら思う。明後日6日から、今度は僕が沖縄に行く。こそっと行こうと思っていたら、今日美術館から電話がきて、琉球大から出張要請が来たので、きちんと出張手続きをするように言われた。せっかくの休みだが、明日出て行かざるをえないだろう。いやはや、なんと僕は公務員風ではないのだろう。