2011年 1月26日  冬の青空。地平線をぐるっと雲が取り巻いている。


書き始めた日だけでは書ききれなかった。今日はもう27日だ。相変わらず気ぜわしい毎日だ。

20、21日、東京に行ってきた。全国美術館会議の美術館教育研究会(ERGだったかな)が国立西洋美術館と、横浜ズーラシアであったのだ。
ERGはまだこの会がEWG(美術館教育ワーキンググループ)と呼ばれていた、20世紀の終わり頃には、機会あるたびに参加し、様々な意味で影響を受けたりなんだりしていたのだが、僕の仕事が管理職になったあたりから、自分の考えの立ち位置が、あまり一般的ではないことにしみじみ気付き、少し引いてみるようになった。そうすると、(あたりまえだけれど)その中にいた時より状況がクリアに見えてきて、僕の考えてきた、美術と美術館教育を巡るものやことが、社会全体の中でどのような意味を持っていたのかというようなことをまとめる事ができた。昨日お知らせした本は、その辺りの成果だ。
だから最近のこの会とのコンタクトは時々回ってくる会合お知らせのメールをチェックするだけだったのだけれど、今回の連絡がきたとき、確か横浜には「オカピ」がいたはずで、こういう機会がないと、見ないまま死んでしまうかもしれないと思い、様々都合を付けて行くことにした。自主的に東京に出るのは、本当に久しぶりだ。空いた時間にぜひ「田宮プラステッィックモデルファクトリー新橋」に寄ろう。

今回の会のメインテーマは、最近様々なメディアに出てくる動物園の教育活動に学ぶ、というものだ。一日目は千葉市動物園並木さんの状況確認と意識確認、二日目は、その実践をズーラシアで見る。
原理的に、理科系基本の活動は言葉のゆらぎ/曖昧さがないので、活動は場所が違っても、対象が違っても、時間が違っても、明快に進む。その言葉の曖昧さとゆらぎ自体に気付き楽しむ方法を伝える文科系の活動とは、違うものだった。インタープリテーションで、完成/完結するかに見えるワークショップ。動物園(しかも意識の高い)だと、見られる対象も生き物なので、ファシリテーとしてはいけない/しにくいのだった。だから、公開された活動は、そっちの方では凄く参考になったけれど、こっちの方では凄く古い教育概念によるもので、しかしそっちもこっちもこうなってああなっている状況から見れば、充分見るべきところがあり、うんぬんカンヌンではあるけれど、大変面白くて参考になる体験だった。
だとしても、入園する前に発券ブースの回りをぶらぶら、うろうろしていた時に見ることができた、券を売る係の若い女の人たちや、中学生と馬に触る活動を始めようとしていた飼育係のお兄さんや、その他諸々の人や建物やマーク類など、見たり聞いたり触ったり話したりする、客と触れる部分の、(行ったことはないが)ディズニーランドのような、最端末まで行き届いた笑顔と目配りと格好の良さのほうが、より強く印象に残った。どうすれば、誰か一人の頭の中にあるそのイメージを端末まで浸透させられるのだろう。おおあぶない、ヒットラーになりつつあるぞと思いながらも、気になるところだ。
で、「オカピ」だが、なんと8頭もいるのだった。一人孤高の密林の動物。今まさに見つかっちゃった(20世紀になってしばらくしてから、アフリカ奥地のジャングルで発見された)ので、絶滅寸前、というような思い込みのイメージを勝手に持っていたので、世界中のあちらこちらの動物園にヒッソリと一人でいる彼らを、大層な苦労をして空輸し、お見合いさせて結婚させ、子孫を残させる活動が、こんなに一生懸命、世界的な規模で行われていることに、最初、頭がついて行かなかった。ううむ、理科系恐るべし。本当は文科系も既にそうなっているのかな、僕が気付かないだけで。

横浜からの帰り、新橋の「模型ファクトリー」に寄り「ミニ4駆」の買い物を少しして、充実した気持ちで帰宅。しばらくぶりのユックリした旅だった。