口だけだとしても、
言うだけは言っておこう。

言葉にすることによって起こる
世界の固定と拡大。




2013年 1月10日 明るく高い曇。カキカキした空気。

美術館はまだ年始休館(1/12から)だ。で、僕は休みをとって家にいる。毎日なにやかにややっていて、そのたびに考えることが次々起こる。思いついた時は結構大切なことだと思うのだが、すぐ忘れる。これまでの経験では、忘れることやものはそんなに大切なことやものではないことが多いから気にしないでいても大丈夫だ、と思う事にしている。

とは言え、さて、衆院選挙が終わってこのような状態なので、様々深く想うことが多い。最も近最近起こった状況は、ツイッターで田母神さん(例の自衛隊/むしろ軍隊?の人)が放射能避難している福島県民が県の支援打ち切り反対署名を出したことに「甘えるな」と言っている件について、うちの娘がどう考えたら良いのだろうと書いているのを読んだ時に感じたことだ。(もちろん今、あなたが読んでいるこのブログの文章は僕が書いているので、僕の要約が入っているから、正しく考えたい人は各自がツイッターにある元の文を確認してもらいたい。)

僕の娘も、原発爆発が起こった直後、自分の子供(僕の孫)を連れて、山形経由で沖縄に避難した経験を持つ。彼女が「これから避難する」というメールをくれた時、僕はちょうど電車に乗っていて、「そうか行くんだ」とシミジミ不思議な(初めての)感じがして、「了解。前だけを見て行け」と返信した。それを送信したあと「この人達とはもう会えないのかもしれないのだなあ」と、なんだか物凄い喪失感が襲ってきて、僕は静かにしばらく涙を流した。
田母神さんの短い文を読んだとき僕が最初に感じたのは、あの時の気持ちだった。僕は今回の原発を巡る問題には(20世紀に楽しく!積極的に豊かな!生活をしてきた)僕も深く関わっていると思っていて、一概に反対反対と言い切れない気持ちを持っている。僕は原発についてそんなに深く勉強をしたわけではない。原発が始まった当時、新聞に載った情報程度以上ではない。でもそれだけの情報からだけでも、直感的に「それって、要するに原爆をコントロールして少しずつ使えるようにしたってことなのね」と思っていた。僕らが物心ついた時代では「原爆を使ってしまったら世界は滅びる(だから抑止力ね)」ことになっていたのだが、そういうものを人間はコントロールできるようになったのだと、幸せに思っていて、ここまで来た。そういうことを日常生活では感じられない程あたりまえになった状態の上に日常が続いてここまで来た。もちろん不平等に誰かが儲かったりしてはいたのだろうが、多分僕も世界の誰かに対しては不平等に近代的な生活をすることができたのだろう、とも思う。
一方僕はそういう生活をしていた/これたので、子供達(僕の遺伝子継承者)がこういう状態になった時にできることは、物理的にできることを可能な限り(たとえ僕が死んでしまうような状況になったとしても)提出することだけだと思って、覚悟している。少し視点を広げれば、甘いと言った田母神さんも(軍人だから)多分命をかけて放射能を止める作業をし、県だって、ほぼ同時に全部やんなきゃいけない物凄くたくさんの仕事を、なんとか整理し優先順を決め、一部のみんなからは文句言われるのを我慢しつつ、皆のために一生懸命しているに違いない。こうしてきた僕が、こうなった子供達のために、死んでもしょうがないと覚悟を決めるのと同じように。
美術教育の失敗は広く深くこういう時に効いてくるのだなあという想いが、シミジミ深い。

たとえ話は間違ったイメージを伝えてしまうことも多いという危険を自覚した上で、これは戦争なのだろうと(田母神さんが出てきたので)思う。田母神さん、威張っていいから、きちんとしてね。