今となっては何気ない風景。

それでも、人間はここまでしてしまったと思うべきではないか

復元不可能な風景。


2013年 2月22日 
快晴。昨晩は布団の上がけを1枚減らした。

毎日午前中何かしているおり、ふと想う所があって、おお、これを次のブログに書こうと思う。でも、すぐに忘れてしまうのだ。忘れてしまう物やことはあんまりたいしたことではないと思うことにしているから書かない。今朝も通勤の途中で何かうまいこと考えたのだが、今、いざ書こうとしたら、何か想い付いたということはおぼえているのに、何だったか思い出せない。

最近、下の娘は2番目の子供がつかまり立ちし始め、だんだん人間化してきているのに会わせ、親が自分に何をしてくれていたかの自覚が深まってきている、という手紙をくれた。その中で、お父さんは私と同じ30歳頃何をどのように思って親をしていたのと聞いて来た。そうしたらその手紙が来た次の日、市内の真面目なシュタイナー保育所の母親会の人達と活動をしたあとの座談会で、同じような質問を受けた。今61歳の僕は、30歳前後の頃(ちょうど下の娘が生まれた頃だ)何を考えて親をやっていたんだろう。ちゃんと考えると長くなりそうだったので、思い付く所をメモして返事した。

1学校的な教育関係者(いわゆる先生)の子供は、あんまり善い子供がいない気がするから、注意しよう。僕も先生なのだと思っていた。

2この人達は、僕とは違う人だということを忘れないようにしよう。

3子供は、僕が言ったとおりでなく、僕がやったとおりにするから、自覚し覚悟した行動をしよう。

4性能の良い人間の幼体の行動は「死ぬかも知んない」ぐらいが普通だから、自覚し覚悟しておこう。

5何かを命令的にさせなければいけなくなった時は、物差し百回(確実と思ってもしつこく計り直す)してから。

6日本は辞められるが日本人は辞められないから、何処に行っても日本人として話ができる人になるための相談。

7教える=相談に乗ること。

 こういう風に書いていくと切りないなあ。そうか、俺は結構(他の誰でもない)貴女(娘)達!に怒られないように!気使ってたんだね。ううむ、正しい親のあり方だな。

というような所がその時の答。全体としてその時点で「僕が格好良いと思ったこと」をしようと思っていたあたりがまとめじゃないだろうか。できるだけみんなと同じでなく、できるだけその問題の基本に戻って「格好良い」ことを。でその他のことはまだ勉強中だったのだと思う。何でもわかっているとは思っていなかったな。回りに凄い(大人の)人達が沢山いたからな。これは大分勉強しないといけない(大人になるために)と思っていた。でも、だから、僕はできるだけ若僧でいなくては!とも、強く考えていた、と思う。

ある時ふと気付くと、僕はもう(多分)若僧ではなくなっていた。でも、若僧の動き方しか練習していなかったので、身体が歳とって思うように動けなくなった今、ちょっと動揺してる時期なのではないかしら。