私の仕事は、ノッツオをこくことではなかったか。

本質をシンプルに、
実践を直接に。


2013年10月23日 
終日冷たい霧雨。

この前の台風が過ぎてから、なんだかグズグズした毎日だ。そういう毎日の中、忙しい日が続いている。と書いてから思えば、美術館に出ている日は結構時間が空いていることに気付いた。休みの日に仕事が入っているので、なんだか忙しそうなのかな。

先週の土曜日一日かけて京都に移動。本当は、今や京都は半日で余裕に着く距離なのだが、今回行く所は山科なので、少し早めに移動して散歩/うろつき。この時期京都はまだ紅葉前で山科駅前のホテルの連泊の予約はわりと簡単だった。
仙台にいると、つい山科駅前と簡単に書いてしまう。山科駅はJR東海道線を京都駅から一駅戻ればいいはずだった。で、新幹線で京都駅に着いて在来線乗り場に行くと、どこにも東海道線の表示がない。山科は京都から一駅だから山科駅行きという表示は特にない。仙台駅で長町駅行きの表示がないのと同じ。仙台だと長町がなくても白石とか福島とか知っている駅の名前がある。でも、京都で表示されている電車の行き先の駅の名前は、そもそもなんて読めばいいのかすぐには思いつかない漢字(というより訓読み)だったりする。(漢)字が読めないので「どこ(ここ)行きの電車は山科通りますか?」と人に聞けない。湖西線と琵琶湖線が山科で別れるという表示があって、とにかく、その辺りに乗れば山科には着くようだということがわかる。湖西線と琵琶湖線って、東海道線なの?実際に行ってみたら、山科駅は僕のわかっただけで3つあった。だからホテルは山科駅前すぐということだったのだが、本当に着くのかなと結構緊張しながら到着。

だいたい、せっかく各駅!停車の新幹線で行ったのに、名古屋の次は岐阜羽島で、次米原そして京都、京都を出ると次は終点新大阪。名古屋から大阪まで3個しか駅がない!そんなに近かったんだ!東北新幹線だと仙台福島間だって1つ駅があるというのに。宮城県内だけで3つ駅があるというのに。あっちでは、私鉄がその間を縦横無尽に(仙台にいると考えられない程に)つないでいるのでJRの駅はそれぐらいで充分なようなのだとわかる。何しろJR山科駅前には、違う線の、名前は同じ駅が、3つ上下に重なって、あった。いやはや。僕は本当に田舎のオンツアンになってきたのだなあ。

なにはともあれ翌日、京都橘大学で、博物館教育での教育の捉え方の講演とシンポジウム。興奮して1時間しゃべった後シンポジウム。会終了後、質問に来た(物凄く真剣な、イギリスから留学している)学生に、タジタジと答えたりする。夜、参加者(学生より博物館美術館関係者が多かったようだ)と食事をし、コタコタになって帰って早く寝る。次の日はゆっくり起きて昼頃の新幹線で帰仙。東京からの電車の中で爆睡。家に帰っても、早く寝る。

火曜日は、宮教大での授業。3時限目講義と5時限目実技。早く帰って(といっても8時になってしまう)アメリカンフットボール中継をBSで見て就寝。
今日は午前中美術館に出て、今年の6月から約束していたK森市民センター老荘大学の人達25名程と、シャガール展を見るための常設展の使い方。歳とった人達はみんな熱心なので、こちらもつい一生懸命に話す。その後全部歩きで、デ−ステルでコーヒー豆を買い、「かふく」で蕎麦を食い、佐々木さんのカフェで美味いコーヒーを1杯だけ飲み、SARPの明才展に寄り、飴をもらって帰宅。予定では、あそこでこれをしてここでこれをするはずだったが、もういいやと全てキャンセルして帰宅。今、夕飯を食ってこれを書いている。

明日から木曜金曜と幼稚園が来て、粘土を含む美術館探検をし、土曜日に山形芸工大の美術館教育の学生が来て、午前と午後、探検のワークショップをしてみせ、その次の土曜日に、今度は僕が芸工大に行って、あれは何だったのかの解説講義をする予定だ。ううむ。


天気良いんだから外で遊びなさい、から始まる教育。

ごく基本的な発想から始める理論。



2013年10月16日 
凶暴な台風が来ているはずなのだが、高曇り。 

朝一番で、来年2月に行くことになっている沖縄県芸大への飛行機の切符を買いに(予約は済んでいるので支払いをしに)行くことにしていたのだが、凶暴な台風が来て、昨日の夕方から鉄道は今日の運休が決定。午後まで外に出ないようにとラジオで言っている。でも、僕のいる岩沼は、今午後1時で既に高曇り。風は吹いているけれど、確かに微風ではないが、という程度。もう過ぎて行ってしまったのかな。岩沼は、なぜか、いつもこんな感じ。阿武隈川がうまい具合の所に流れていて、うまい具合にやり過ごしてくれているのだろう。電車が動き始めたら仙台に出かけようかと思う。と書いたところで強い風が吹き始めた。

というような理由で、今日の午前中、ポッと時間が空いたので、10月1日から始まっている宮教大での授業の整理をしていた。これまでの大学の授業と同じに、継続して行う授業のときは各自にカードを渡して感想と質問を書いて出してもらい、それを出席カードにしている。出席を確認しチェックした後で、丁寧に彼等の文章を読み、考える。単純素朴な質問が多いので、その分こちらが考えるところは大きく多い。この感想質問を持ったまま、欠席しないで最後まで寝ないで聞いていれば、その質問に答えが出るためにこの授業をしているのだがなあ、という質問も多い。

僕が授業で話していることは支離滅裂で全くアカデミックではないなあという自覚が、こちらにはある。1回目の質問に個別に答える(といってもかいつまんで)というのを2回目にしていたら、提出者の半分もいかないうちに時間が(1時間半の)来てしまった。そもそもの基本オペエレ-ションソフト上の言葉の概念を点検修理しているうちに終わってしまう。何処から始めたら良いのだろう?ということを自覚する授業をするのだなあ、と思う。

何しろそもそも「美術による表現」とか「イメージと表現」という最初から美術の奥に飛び込む授業なのだが、その美術という概念が図工のまま+ぐらいのところから始まってしまうので(たぶん)そちらにもこちらにも、大変なのだ。
初めに点検しなければいけない概念。美術。教育。歴史。日本とそれ以外の国。基礎教育と大学での教育。視覚表現。そもそも表現。見る。評価。生きていく。感性。西洋画を習っている。日本画は習わない、が、僕等は日本人だ。絵の価値。歳を取る。ここに生まれる(た)。いやはや。これらはすぐには理解できない。理解できてどうなるというモノでは(も)ない。では、私達はなぜ教育をしたがる(する)のだろう。

なんてことを考えていたらアッという間に1時半。風もやんできて高曇りどころか、薄日が射してきた。でも空気は一気に冷たくなってきた。

主語を忘れない発言。

齋でなく正弘としての
発言と行動。

そこに表れる私=Iと
貴方=Youとの関係。



2013年10月 7日  
曇。時々霧雨。全てが中途半端な天候。

ここしばらく、歩いて美術館に通勤していたので、先週末、アエル丸善前の市営駐輪場に行ったら、通勤用自転車に料金不足のステッカーが貼ってあった。僕の自転車には9月までの半年用駐輪場定期ステッカーが貼ってある/あった。おお、もう10月にすっかり入っていたのだった。何なのだろうこの物凄く早い時間の進み具合は。駐輪場使用チケットを再び半年間延長。色々手続きをせねば行けないことがこの時期続く。電車の通勤定期ももうすぐ更新時期だ。カングーのバッテリーも換えなければいけない。でも最近こういう何でもない普通のことの手続き等がとてもめんどうに感じるようになってきた。胞夫さんが一気にアルツハイマーになった時を思い出す。あるとき彼はバサッと請求書の束を僕の前に出してきて「正弘、これはどうすれば良いのや」と聞いてきたのだった。面倒なことこそ丁寧にやっつけるようにしよう。しばらくブログの更新もしていなかった。

この前の更新(9/15)以来なんだか毎日忙しかったように思う。この時期見たい/聞きたい展覧会や聞きたい/見たい演奏会などが時期的に多くなって来て、それをするのに様々オプションを付けてしまったりして(松島西行戻りの松まで行くのに舟を使うとか)ますます時間がなくなっていく。でも毎回充実した体験が出来て満足はしている。ただ時間的にはなんだか毎日忙しさがつのる。
その上、10月から、短い間(今年一杯程)だが再び宮教大で先生をすることになったので、やや緊張気味にその準備などを始めたりした。それを始めたら来年年明けに沖縄県立芸大に呼ばれていることもリアルに思い出されて、なんだか心騒ぐ。その前に芸工大の博物館教育の授業と、京都橘大でのシポジウムがある。どちらにせよ、僕の場合は出たとこ勝負だとは言え、何なのだろうこの落ち着きのなさは。

9月中にいくつかあった美術館での美術を巡る相談活動から始まって、9月末にあった松島西行戻りの丸公園での音楽会の体験/経験や、SARPや芸術協会の展覧会などを見た想い/感想、新たに手に入ったクロスカブ(モーターサイクル)でのしばらくぶりのツーリング(という程のものでもないが)体験などが相まって、深い動揺のようなものを、今の僕に感じさせた。ああ、それであんまり文章書けなかったのだな。

良いことも悪いことも含めて、とにかくみんなは着々と表現に変えているように見える。僕はもう20世紀的な方法ではなんだか恥ずかしいような気がして、あまり直接的な表現には移れないでいる。では何か違うものをとは思うが何も思いつかない。呆然と毎日が過ぎていく一方で、毎日毎日体力が落ちていくのが実感出来る。少しずつ実験を始めてはいるのだが、何しろ最も大切な集中力が落ちてきているのでいかんともしがたい。しょうがない少しずつ丁寧に好きなことをやり始めようと思う。いやはや。