わからないことが、
沢山あるので勉強する。
わかることが増える程、わからないことも増える。
2014年 1月13日
快晴。
冷たく乾いた空気、今日も。
昨日は日曜だったので若い友人のカップルに来てもらって、2月に僕が沖縄県立芸大の集中講義に行く間、家に泊まり込んでくれる相談に乗ってもらった。快諾。ありがたい。以前明美さんを連れて行った時、彼女一人沖縄の街中においておくと岩沼に居る時とまったく同じ生活をするので、彼女自身が途方に暮れる。なので今回は自宅待機。そうなると、家に彼女一人。そういう時の火事は経験済みなので、誰か居てくれると安心なのだがなあ、という相談。
2月9日から11日までの3日間、博物館教育の集中講義を沖縄県芸大学芸員コースの人達にする。1日目は、主に美術の再確認。2日目は教育の再確認。3日目は沖縄県立美術館に行って公開実践。と、考えていたのだが、どうも沖縄県立美術館は2月10~11日は消毒休館で誰も入れないようなのだ。逆にすればいいかな。最初の日に美術館に行って実践を公開し、あれは何だったのかを残りの日で説明する。なんていうことを最近はつらつら考えている。
小人閑居するとろくなことをしないから、時間を見つけては、街の西に広がる千貫山麓に古くからある(らしい)7つの不動尊を訪ね歩いている。岩沼の市立図書館2階にある文化財展示室からもらってきた広報誌に書いてあって、ぜひ行ってみようと前から思っていたのに、なかなか始めないでいた。
名字(齋は齋部氏から来ている)柄、そういう事に興味は深くあるのに、最近僕は岩沼より隣町の柴田町の里山巡りにいくことが多い。入間田の奥の山裾にあるお寺や神社、磨崖仏などにたどりついて、その信仰の生き具合に、ふうむこのへんは昔、こうでもしないと不安だったぐらい大変な毎日だったのだなあと考えていた。
この時期、古く大おきな杉の並木に冬のこもれ日の美しい参道/石段を登りつくと、よく手入れされた、立派なしかし質素な神社が絵に描いたようにある。挨拶して社殿を一回りすると、その裏の林の狭い切れ間に矢印があって、ここから○○不動に行けるとかいてある。覗き込むと、そこから見える細く暗い道は、ほとんど踏み分け道で、しかも崖のようにそこから急に落ち込んでいたりする。しかしそこから入っていって辿り着いた先には、良く見つけたなあという具合の、立派な谷川と小さな滝があって、そこは個人所有のお不動さんだという看板があったりする。そこまでの矢印や石碑など、柴田町は良くやっているなあと、岩沼市民としてはちょっとうらやましい程だった。
同じような感慨が、この7不動巡りで起こっている。岩沼もすてたものではない。まだ4つしか見つけていないが、そのうちのひとつはダンプの通るホコリっぽい舗装路脇を下り降りた所に、小さい祠と、その後に小さいが何か居る雰囲気の滝。ある時期、岩沼はこういうのと全く関係/相談なくダンプ用の道を作ってしまったのだ。今、ダンプが通っていた活動/目的は終わり、普段はほとんど誰も/何も通らないホコリっぽいガランとした舗装路だけが、その祠のすぐ上に残っている。柴田町のお不動さんとは又違った感慨。もちろん、お寺の中にあって丁寧に生きているお不動さんもある。だいぶ山奥(といっても、もともと里山なのだが)の道の先に、ここまでどうやって材料運んだんだろうと思うような(祠でなく)社とともにある滝もある。ちょっと前まで、僕達は相当一生懸命、そのへんのすべてのモノと供に居た神様達と力を合わせて、生きていなければいけなかったことがわかる。感慨深い。みんな居なくなっていないと嬉しいのだが。
これまでなぜか、行くのが午後からになることが多く、お不動さんに辿り着いたあたりですぐ暗くなってきてしまうことが多かった。これからは心して行かねばなるまい。