自然を支配する。
自然と共存する。
人間は地球の生き物だ。
生きるためにする/できる事。
2014年 5月13日
生暖かい微風。明るい曇り。
この前はずれた右上奥歯に新たな銀をかぶせる予約を連休前に入れていた。昨朝起きて日程表を確認したら、同じ時間に明美さんの医者に行く予約を数ヶ月前に入れていた。
すったもんだした結果、今日1番に歯医者の予約を変更し今入れてきたところ。歯医者は充分な仕事をするために予約制をとっているわけで、患者の頭数を簡単には増やせないのだ。今朝早くまでは雨が結構降っていたようなのだが、日が昇ったあたりから雨はあがった。快適な湿り具合の日が始まっている。
この前の日曜は母の日だった。美術館で視覚障害の人達の活動があった。彼等はもう何回も彼等だけで鑑賞しに来ていたのだけれど、バックヤードツアーができないかという相談があったので、休みだったけどのこのこ出かけて行った。ハーフマラソンの日だから、駅から歩いて美術館まで往復。その往復時、何気なくNHKFMを聞いていたら、一日ママ歌三昧をしていた。
新緑の青葉通りの七十七銀行前を、どこかの田舎のお母さんが、「君は君の人生を歩き始めたのだから、もう田舎に帰って来ないように」と方言で歌う歌を聴きながら、様々なことを思い出して泣きながら歩いたりした。僕は良い?息子なので、基本的にマザーコンプレックスだ。とはいえ、世界中の人は全員誰かの子供なので、お母さんを巡る歌は信じられない程広く深くあって、一日やってもまだ足りない程沢山ある。が、それを素直に泣きながら聞いている時に僕が考えていたのは、栄子さん(母)ではなく胞夫さん(父)だったりした。ううむ、歳とったなあと思う。母がそれをしているとき父は何をし何を考えているか/いたか。人間という生き物のオスの在り様。
女の人は自分でその人を生むことができるので、それは想いが充分なのだろうとは想像できる。いいなあと毎回思う。でもその人は僕の遺伝子も持っている。僕がいなくなってもその人の形で僕は生き残る、という感じ/感覚。もう、君は君だから前だけみて進んでいいんだぜ。と言うより、僕の遺伝子としては僕の行けなかったそっち側のできるだけ遠くに、行って良いんだ/行ってもらいたい。ということがあるとき全部いっぺんにわかる。
それまでだってなんとなく薄々感じてはいたが、僕の場合はこの前福島の原発が爆発し、彼等が沖縄に逃げるという連絡をよこした時。ちょうど胞夫さんが死んだばかりの頃だったので、遺産という程のものではないが、ある程度のお金を彼等の通帳に振り込んであった。それを使ってどこかに行け、「前だけを見よ」というメールを送信した後、涙がしばらく流れて、電車の中でじっとしていたことを思い出す。原爆/原発を使うということがどういうことなのかも、そのとき実感として理解した。自分の遺伝子を残すという責任/希望。みんな全員誰かの子供なのに。大人になるということの責任と希望。地球の上の生き物の責任と希望。いったい僕達は何時から生き物でなくなってしまったのだろうか。