社会教育では、
来たい人がだけが来る。
だからそこでは、
不登校は起こらない。
本当の教育って
そういう物ではなかったか。
2015年2月8日
深い曇。湿った冷たい空気。
僕が関わっている東北の造形作家を支援する会というNPOで最近の子供達との活動をまとめた「こどもそうさくしつ」という本を出した。これは、NPOが様々な児童館と一緒にやったあんまり学校的でない活動―なので普通の子供のごく普通の遊びというように僕には見えるのだがーのやり方をまとめた物だ。このまとめは、2015年2月6日からA4判64頁の本になり、1冊900円でNPO東北の造形作家を支援する会(022-398-8844)に連絡すれば手に入ることになっている。
本にしている最中に、児童館の指導員の人達からいくつかの質問があり、それに僕が答えた。初めメールで、こういう質問が来てるんですけど、答えてもらえますか?と来たとき、まず思った事はすごく良い質問だという事だった。で、すぐに答を書いた。全部に答を書いた。全部が大切な質問のように僕には思えたからだ。でも、本にする段階で少し編集する必要があって、だいぶ短くなってしまった。最初に書いた全部の質問にかってに書いた文章は今僕の所にある。美術を巡る物の見方を考えるにはわかりやすいと思ったので、それを公開しようと思う。
質問 この中から3~4問選んで回答をお願いいたします。斎さんが答えやすいようない回しに質問文を変えて(作って)頂いても構いません。
□小さい人達と美術的な活動を組み立てようとするとき一番大切な事は、私たちは、ちょっと昔は全員子供だったという事を忘れないようにする事です。彼等は今、その時代のあなたを新たに実行している所なのです。子供の頃していた生活の中に「美術」とか「遊び」とかの名前の活動があったでしょうか?小さい頃、人間は基本的に暇で、何もしなくても上手に1日中暇つぶしをしていたのです。そのへんから活動を組み立てれば、実は子供との活動で大人が気にするほとんどの問題は解決できるように思います。そしてそういうものの見方ができるようになると、そこに美術の関わる部分が深く出てきます。
〇特別な道具が無いときは、どうやって遊びを見つければよいですか?
●その人達がどのようにして暇つぶしをしているか見ます。ほとんどの遊びの行動にたいした道具は要りません。道具を見つけたり作ったりすること自体が遊びになります。多分ルールの見つけかたを一緒に考えれば遊びは始まるのではないかな。
〇特別な道具が無くても、アートって出来ますか?
●アートは「各自の世界観の拡大の作業」なので、普通道具は要りません。あなたの質問で使っている「アート」は多分学校でやった図画工作の事です。アートに親しむヒントは、美術の美は「美しい」の美ではなく、「ビックリ」のビだと思うことです。ビックリする練習だと考えれば、一気に作業のバリエーション増えませんか?
〇美術って、必要?子どもにどんな良い事があるの?
●あなたは字が読めるでしょう?字が読めると突然世界が広がります。実は、美術は字が読める(識字=リテラシー)と同じようなものなのです。あなたは字が上手に書けますか?「読める」のと「上手に書ける」のは同じですか?美術も使えればいいので上手に描く/する事とは違う事を肝に銘じておきましょう。なので、字が読めるのと同じように美術を知る事は、その個人にとって、(年齢に応じて)大切で必要な事です。
〇「アート」ってよく分かりません。一般人には理解できない表現が多すぎてついていけません!芸術は爆発ってどういうこと?!どうやったら理解できますか?!
●これは大人(10歳以上?)の人の感想/質問です。おおむね10歳以下の時期、人間が感じる「きれい」とか「きたない」とかの想いは「その人の親の感想」で、そう言ってみる事で、子供は(親のように)人間化していきます。その時期彼等にはアートという意識すらありません。思い返せばあなたにもなかったでしょう?
美術は普通の実生活では何の役にもたたないものですから、普段はわかったり納得したりしなくてかまわないのです。前にも言ったように、美術が分かるという事は、字が読めるという程の事ですから、どの本をどのように読んでこのように感動するといいと言うような事は、字が読めるようになったあなたにとっては余計なお世話です。字が自由に読めるようになるまでに、私はこういうのを読みたいという「好み」を作っておくことの方が大切です。美術でも。
この程度に、「アートが、今、その状況で、私には分からない」という事はそんなに悩む事では、まったくありません。又、この人は「どうやったら理解できますか?」という程度に気にしているのですから充分に理解している状態だと言えます。真面目に勉強してみると美術は大変に難しく奥が深いようなので普通の生活ではこのあたりで充分なようです。
〇美術鑑賞って何をどう見ればいいのか分からなくて苦手。楽しむコツは?
●学校でなく普通の生活の中で美術を見る/使う時には、先生はいないのです。だから評価ももちろんありません。美術作品の鑑賞は既にそこにあって、そこを目指して勉強するものでは、まったくありません。というよりできません。それを見ているのはみんな違う人なのですから。
鑑賞はその時点であなたがその作品から自分で読みとれる物やことを使って一生懸命(善し悪しで無く)ビックリすることなのです。作家の想いとかはあまり気にせず、その作品の隅々からできるだけ沢山の自分に役立つ情報を見つけ出す練習や、つまらないことでもビックリする練習を普段からしておきましょう。
〇美術って何が面白いの?(美術館って何が面白いの?でも可)
●人間は自分の知っていることしか知りません。という事を一目で気付くために美術はあります。自分の知っている世界と違う世界がある事に気付ける事が美術の面白い所です。この話の意味がピンとこない人は、そのための勉強中だといえますから、美術について特に気にすることはありません。
〇アート初心者は何から始めるのがいいですか?
●深呼吸してから始めるノンビリ散歩あたりがいいです。自分の回りを気にして、見る、練習です。
〇センスはどうしたら身に付くの?
●善し悪し関係なく、自分以外の物や事を丁寧に注意深く良く見ることで、身に付きます。
身に付いたとたんに間違いや気付いていなかった所に気付けますから、何回も何回も繰り返し見直し続けると早く身に付きます。で、ま、だいたいここのあたりでいいかなという所で、止めて実行してみるのが「センスが身に付く」コツです。
〇絵が上手くなるには何をしたらいい?(デッサン?予備校?)
●実は絵を描く時描いている人は描いている物を見ていません。紙を見て描きます。なので、図工を終えた人(=小学校を卒業した人)で、本当に上手い絵を描きたいと思う人は、自分の頭の中にある世界を隅々まで完成させる事が、早道です。好きな風景を飽きるまで見に行くとか、本を読むとか、実際に自分でやる活動。既にある絵や映画などは、それを作った人の世界なので、あまりお勧めではありません。
具体的に絵を描く行動は運動の一形態ですから、それ意外の美術をめぐる活動に必要なのは練習です。これに飽きる人は美術を作るのには向いていませんから、気にしない事です。
〇良い作品、って何ですか?
●個人の世界観をまず固定し、そこからそれを拡大する事に気付かせる物のことです。技術の上手い下手とはほとんど関係はありません。
〇何でも好きなものを自由に作って(描いて)、って言われても思い浮かばない。何をどう作ったら(描いたら)いいか困ってしまう。どうすれば?
●例えば絵を描く時って、頭の中にその絵が見える事が最低限必要です。だからその時点で、あなたは、何も好きな物がない。その事の方が重大な問題です。お散歩に出かけて、好きな物や事を見てみるのをまずやりましょう。
〇美術が得意じゃないのですが、子どもの創作活動にどう接すればよいですか?
(美術への触れさせ方や、褒め方が分からないなど)
●美術が得意ではない事はあなたの問題なので、その子供との活動では、ほとんどまったく気にする必要はありません。むしろ、美術なんて分かんなくても/下手でも人生には関係ないから大丈夫という事を伝えた方が良いと思います。で、ここまで大人をやって来て、そのうえであった困った事をどうすればいいか相談に乗る、というのが美術を巡る子供達との活動です。なければ、美術なんかやらなくても大丈夫だということを教える活動をすればいいのです。
〇お世辞にも上手いとは言えない作品、どこを褒めたら良いか迷います…。
●子供との活動で、行動が肯定される(褒められる)のは大切です。彼等は、人間が長い時間をかけて獲得して来た人間の特性を今初めてしている所なのですから。絵を描くという行為自体が大変な努力の結果生まれてきたものなのです。猿は未だに絵は描けません。まず、描くこと自体が褒められるべき行動なのだという事を大人は自覚しましょう。
描かれた絵は、性別年齢上手下手を問わず、それを描いた人の頭の中の世界です。他人の世界観が今ここに見えているという、こちらの意識が大切です。そういう見方で褒める所を探すと、子供の絵の世界はすべて、あなたの知っている世界のはずです。さて、だとすれば、その世界を見えるようにする活動で、その子供に与えてあげられるアドバイスは何でしょう/何処でしょう。教育は教える事ではなく、その人の相談にのる事です。絵は描く事ではなく世界を確認する事だったのだという事を忘れずに見れば子供の絵には何かしらその人が見つけた新たな何かが見え、彼等へのアドバイスが見えてきます。
〇つい他の人の絵と比べて落ち込んでしまう(子供がいます)。どうしたら気にならなくなりますか?
●注意してみていれば、ごく小さい頃の人間は他人と何も比較しません。他人がいるという自覚こそが人間になる始まりです。(その子供が)落ち込むのは、回りの信頼する大人が、その小さな人間のした行為を基に、その大人が落ち込む行為を「普通に」してしまったからです。それを見ていた子供はこういう時は落ち込むんだという行為をするのです。そういう大人として子供の回りにいないようにする事こそが、子供と何かを創る活動をする時、最も注意すべき事です。
〇友達の作品と比べてしまう子どもには、なんて声をかけたらいい?
●このような育児の問題(美術の問題ではありません)はほとんどすべてその子供の回りの大人の問題です。子供は他人とは比べません。回りが比べてプレッシャーをかけています。何を比べて、何のプレッシャーを、何にかけているのでしょう。大人はその子供にいっぺんに起こっているこれらの問題を、あわてず解きほぐし(すると、その各々はたいした問題ではない事が多い)各々の解決策を見つけるのに力を貸せばいいのです。あなたの解決策を教えるのではないのです。回りの大人がこのあたりを意識する事が子供を美術好きにするコツです。
〇子供に、絵が下手なので図工の時間が嫌いです。どうしたら得意に(好きに)なれますか?と聞かれました。
●その子供の年齢によりますが、おおむね以下のように相談に乗ります。
ううむ、君が嫌いではない時間(物)は有るの?小さい頃はいろいろやった方が大切だから、好き嫌い関係なくこれ(美術)をやっているんだけど、好きな物がある人は好きな事やってみた方が良いから、今回はそれやってみるか?又描きたくなったらいつでも戻って来ていいよ。
この質問には大切な二つの問題が隠されています。1−絵が下手なので図工が嫌いになっている所。2−どうしたら好きになれるかと考えている所。
◉人生で絵が下手なのは特に困った事ではありません。でも、想いを見えるように形にするのは(大切、とか必要とかいう物ではなく)面白い事です。この人は上手い下手とは関係なく好きに描く活動をここまでして来なかったのです。それに気付くための活動をまずした方が良いです。
◉なぜこの人は好きになりたいと思っているのでしょう?理由によって答えは違ってきますが、上手い絵を描けるようになりたいのなら、一番簡単な始め方は、その人が上手いと思っている絵のコピーをとって、トレーシングペーパーを重ね、写し絵をしてみる事です。そこで分かってくる様々な事をめげずに続けているうちに、ふと気付けば絵を描くのが上手くなっています。ですが、たいていの人(年齢を問わず)はその途中に飽きてしまいます。飽きちゃう人は無理して絵を描かなくていい人なのです。飽きない表現(音楽、体育)を探しましょう。飽きちゃうのだが、でも上手くなりたい人は、「絵を描く運動神経の練習」に向いますから、専門家との相談が始まります。
〇イラスト、漫画、ゲームばっかりで、うちの子は大丈夫でしょうか。
●この質問で、漫画、とあるのは、そこに出てくるキャラクターを描いているという意味でしょうか?イラスト、漫画、ゲームのキャラクターばっかり描いているということにします。年齢によりますが、あなたが「うちの子」だと思っているうちは、大丈夫です。全くほっておいてかまいません。描かなくなる方が将来困るのです。何でも良いから描いているうちはほっておきましょう。描くために読んだりやったりするのは全くかまいません。絵を描くのは頭の中の世界を描く事なので世界が見えないと描けないのです。頭の中の世界はその人が普段何を見て何をしているかにかかりますから、何が心配なのかを整理すると、実はそちらの方(普段見ている物/世界)の相談を始めないといけないかもしれません。
〇創作活動をする子どもに、言ってはいけない言葉はありますか?逆に、掛けると効果的な言葉はありますか?
●創作活動か否かと関係なく、子供と活動をする時に、大人が注意する事は、物事を肯定的に見るという態度です。今そこに起こっている事は、その小さい人がほぼ初めて体験する事である事が多い。そこに起こることは起こるべくして起こっているので、人間にはどうしようもありません。それに対処して生き延びる事を素早く決め続けなければいけないのです。実は絵を描いている子供に声をかけるという事は、そういう状態にいる初心者に適切な生き延びるアドバイスを出すという事なのです。
そう表考えれば様々に変わる状況で言って良いことと言わない方がいい事は自ずと出てくるのではないでしょうか。
〇子どもがよく怖い絵を描いています。大丈夫でしょうか?
●大丈夫です。ある年齢までは概念そのものの点検と体験を経験値に変えていく実践を繰り返します。初めから概念的にするしないを決めるのではなく、体験と照らし合わせながら、概念を実際化していった方がいいように思えます。その時に使うのが絵を描くという行為だと思えば、怖い絵を描けるうちは大丈夫です。ほっておいて、むしろどんどん描かせ、一方で様々な本を読んだりして、その人の世界観を拡げる練習をしましょう。
〇子どもたちが学ぶべきこと、学んで欲しいことは?
●世界観の点検/固定と拡大です。すべての勉強はそのためにあります。
〇「探検」の魅力は?(どうして「探検」をするの?)(どんな良い事があるの?)
●天気(晴れ曇り雨)、温度、湿度、気圧、風の向きと強さ、雨の量と強さ、その他細々した様々な要素が総合されて「気象」と呼ばれます。その各々の要素と気象は同じようで違います。さて、「探検」には何が含まれるでしょう。見学や学習で、個別に学んだ事柄を「総合的に使って」今自分のいるその状況を理解し、その状態に対処する方法を考え実行する。個別の智識を総合的に使った時に見えてくる世界。このダイナミックさを楽しめるようになるあたりが、僕が行(活)動を探検と呼ぶ理由です。
〇斎さんは子どもの頃どんな遊びをしてましたか?オススメの遊びがあったら教えてください。
●今となってはほとんど忘れてしまいました。なにして遊んでいたっけなあと考え出すと、板敷きに薄縁をしいた堀ゴタツの部屋があってテレビはなく大きな木の箱に入ったラジオが1台ありました。食事はその堀ゴタツの机(テーブル)に家族みんな集まって食べ、その食事は石油コンロで煮炊きしていました。台所とつながって風呂場がありその木の桶の風呂はだいぶ大きくなるまで亜炭で焚いていました。大きくなってからは豆炭を使っていたと思います。風呂を焚くのは僕の仕事でしたが祖母がだいぶ助けてくれていました。日中、母は裁縫の請負をしていて祖母は洗い張りの仕事をしていました。季節になると町がDDTの散布をしに来て、散布器の音や薬の匂いが怖くて、祖母と干してある布団に隠れていた事を思い出します。このように、ずうっとすべての生活を思い出すことができます。
何をして遊んでいたかと聞かれたら、普通に真剣に楽しく充実した、素朴で貧乏な生活をしていたということを思い出します。遊んでいたという記憶とはちょっと違います。
お勧めの遊びはだから「すみか造り」です。
〇はさみやカッターなど、子どもに刃物を持たせるのに躊躇してしまいます。持たせてもいいタイミングの目安はありますか?
●刃物そのものではなく、紙を切る、料理をする、木を削るというような活動を考えます。その活動をするために手の延長が必要になったのです。初めから刃物を考えるのではなく、手をどのように延長するか考えます。ほら作業のバリエーションが一気に増えませんか?子供は全員違う人なので、何を使って、何を、何時やるかはその人との相談です。子供との活動では、最初からは何も決まってはいないのです。
〇親御さんからのクレーム回避の為、刃物など怪我をしそうな道具はあまり使用しないようにしています。過保護もあまり良くないとは思うのですが、どうするべきでしょう?
●冷たいようですが、その子供の人生はその子供の人生なので、その子供が過保護かどうかはその子供と親との関係です。ただその子供の人生はその子供の人生なので、このような活動の相談は、その人の人生にあなたがどのように関わっていくかの覚悟が問われます。小さい人達とする活動の時、あなたは子供の側に立つのか、この問題でいわれるような親の方の立場に立つのかです。例えば少し手を切らないと、分からない事がある、として、その人が手を切らないようにするには、刃物を使わせないではない。ではどうするか、その上で切ってしまったらどうするか。様々な状況に想いを巡らせておく。その上で、しかしその人の人生はその人の人生でしかない。
小さい人達と活動をするということは、このへんの緊張感を共有する事だったのです。
個別に読みなおすと、僕自身が面白い。まず良い質問をする事が、人生を活性化する最初の事なのではないか。