見ている人と同じ方向を
意識的に見る。
並んで見えるものだけが、
使えるものだ。
2019年 1月18日 冷たい風。快晴。
明日、丸森駅にあるというギャラリーに展覧会を見に行こうと思っている。山元町でハンディキャップの人たちがやっているアトリエの展覧会だ。天気が良ければ自転車で行きたいところだが、今回は車で行こう。または列車で。電車のほうがいいな、という毎日を続けている。
昨年の末に、名取のムサシの二階にあるボルダリングスペースの会員になった。僕はもうシニア会員になれる。シニア会員は、自分の靴を持っていけば時間無制限で1日500円ポッキリ。着替えをして靴を履く前に1時間ゆっくり柔軟体操をして石に掴まるのは30分ぐらい。それ以上やっていると指の力がなくなってボタっと落ちる。あまり専門的な場所ではないので使用者は小学生を中心にした小さい人たち。なので、休みの日はものすごく混むから、僕はウイークディの午前中に行く。
とはいえ、毎年恒例、1月1日から3日まではテレヴィの前で駅伝とライスボウル(アメリカンフットボール全日本選手権)。4、5日は体調を整え、6日に佐賀県に飛行機で移動して7日、佐賀県美術館で博物館教育の研修会講師。
もうあけみさんも死んで、すぐに帰宅する理由がなくなっているので、8日吉野ヶ里遺跡に1日滞在。佐賀県における吉野ヶ里の有り様をベースに、深く日本の今を考える1日。最近、東北の縄文時代の社会の有り様を考える本を続けて読んでいたので、丸山三内遺跡を見た後に見る弥生の村は、何か刺々しく息苦しい思いが深くあった。何しろ、まず入ったところの周りが深い堀と高い坪と逆さに植えた沢山の槍で囲まれているのだ。とはいえ、それはそれで、ここまでやってきた/これた人たちの思いでもあるわけで、それなりに大変だったのだろうから、何とか肯定的に捉えるのに少し時間がかかったというだけのことだ。夏に是非再び丸山三内に行ってみなくてはと思う。
次の日は福岡に移動して、朝から津屋崎にある花祭窯の藤吉さん家に行き、一緒に近くの浜を歩き回って流れ着いた陶片を探す。浜中に様々な大きさの陶器の破片が落ちていて、それらを藤吉さんに見てもらって、そこから読み取れる世界を聞き、深く考える1日。いやはやとにかくすごいことが昔の、この辺の日本では起きていたのだなあの実感。
陶片拾いに、また行ってみなくては。台風が来た後(波が荒れた後)の新月のあたり(引き潮が大きい)がいいとのことだ。
佐賀と福岡の街中では、明治維新一色だったのだが、僕だけちょんまげになる前の日本を偲ぶ旅だった。
今回帰ってくる飛行機を午後7時過ぎのにしたので、最後の日はほぼ1日、新しくなった福岡市美と大濠公園にいた。小雨降る大濠公園の脇のカフェの外のテーブルに座ってコーフィーを飲みながら、古くから日本をやってきたこの辺りの地域の文化と、最近(といっても100年ほどはたっているのだが、しかしたった100年)中央に反旗を翻しつつしかし結局日本になった僕のあたりの文化を思いつつ、真っ暗になった福岡空港でお土産の甘いお醤油を買い、娘達が出迎えに来てくれた、真っ暗になった仙台空港に帰ってきた。
なんて書くとなんだか思慮深い毎日が送られているように思えるが、何しろ、この時期、僕はアメリカンフットボール一色なのだ。ちょうどリーグ戦が終わって様々なプレイオフが始まり、この人たちは普段いったいどんな練習をしているんだと思える人間の身体運動能力を大きく越えるプレイを見ることができる。今までは、うまく時間が会う試合だけの番組を見ていたが、今年からは子供達が帰ってきて、なんだか極小さい四角いのにものすごく長時間録画できる設備を僕のテレヴィにもくっつけてくれた。なので、見たい番組全てを、録画できることになってしまった。時間差があるので、しかもアメリカには標準時間がいくつもあるので、ぼぼ全ての試合がライブで見られる。
というのが録画してあるので、夜遅くまで見て、朝起きて見て、ほぼ1日テレヴィを見ている。目薬をさしつつテレヴィを見ている。数日間1日の歩数が180歩ぐらいだとさすがにこれはまずいと近くの里山に行き、その日だけ2万歩を超え、またテレヴィに戻るという絵に描いたような不健康な毎日。なのに誰にも怒られない。おじいさんになるっって、こういうことだったのかとニンマリしている。
さて、今からうどんを作って昼飯にしよう。食ったらまたテレヴィを見る。