人が一人で居ること。
その自覚が、
近代になったということだ。
その上でこそ
話し合いが始まる。
2020年 2月 1日
快晴。冷たい風。流れる白い雲。
2月3日に仙台から飛行機で那覇に移動し、4日から3日間沖縄県立芸大で博物館教育論の集中講義。3日間1時限90分の講義を1日5回。3日間で計15回。
早く起きて、朝7時からのホテルのバイキング朝飯を食い、8時40分の授業開始までに、ホテルのある国際通りからモノレールで首里まで移動し、終点の駅から少し歩いて大学まで行き、30人の新しい学生に3日間話をする。
1日話だけの日もあるけれど、何回かのワークショップの実践と、講義の仕上げとして沖縄県立美術館で美術探検と美術館探検の実践。この実践をすると、ああこれまでの怒涛のような話はこういうことだったのかと、みんな安心する。この実践までは、どんどん学生の不安が溜まって行くのが、こちらにも伝わってきてつらい。という活動。ほとんどアドレナリンの力だけでやっつけてしまうのは、美術館にいた頃と変わらない。
1月の後半はずうっとこのための勉強。そういう時に重なって、振込みのお金が口座に足りませんよというお知らせや、大学の時大変世話になったT先生が突然亡くなってしまったり、何やカニやの事件が起きて動揺する。思えば、今年は年賀状の返事を書かないでしまった。なにしろこの時期、基本的に僕はアメリカンフットボールを見続けているわけだし。
12月の半ば、FM名取という地域ラジオ局から呼ばれてラジオ番組で美術を巡るお話をした。本当は美術館を巡ってのお話を聞きたかったのかもしれないが、時間が決まっているのでそこまでたどり着けなかった。なぜか同じ頃NHKからも電話があって、毎夕方にある5時だっちゃという番組でお話ししないかという相談。これも美術館を巡って。でも、みんな、ここ10年ぐらいの県高校美術展見続けていないでしょう?基本的にそのぐらいしてないと、宮城県の美術の有り様について意見を言うのって、うまくわかんないと僕は思う。
だけど、とはいえ、最近はもう美術って図工と深く同じになってきていることすら点検されなくなってきたので、俺はもう一人で静かにあっちこっち見て回る方が忙しくなっているんだよなあ。時々、もれきく他の国の美術の流れを聞くにつけ、僕たちの国では、僕の知っている美術はますます端っこの方に行ってしまっているようで、もういわゆる展覧会は見たくないことの方がが多いなあ。
4、5歳の若い人間が一生懸命何かしている姿とか、新たに家族になった5歳の柴犬と田んぼの中の広い砂利道を山の方まで歩き回るとか、世界というものが常に見る側にあることの楽しさを味わって点検し直すような生活の方が僕には忙しくて面白い。