見える。
見えるものは
自分だけの世界。
210324
朝と昼の気温差が大きい、乾いた空気。
快晴無風。
一昨日、愛知から帰ってきたように感じているが、思えば、既に10日も過ぎている。いやはや。
今回、愛知県豊田市美術館に呼ばれて、鑑賞ボランティアの人たちと、対話型鑑賞をめぐる様々について点検をした。などと言ってはみたが、なにしろ、豊田市美の規模は、僕の歩いた感じでは、展示室も庭園も、宮城県美の4倍ぐらいはある感じだった。普通の日でも、開館前から、入館する広範囲な年齢の人たちが、入り口の前に列を作る。金沢21世紀美術館と違って、(時期もあるだろうが)ほぼ全員日本人のように思えたが。毎回思うが、箱根の山から西は、僕の知っている日本とは違う国のようだ。
1日目、美術探検を巡る、美術と鑑賞について。2日目、美術館探検を巡る、10歳以下の人たちを対象に考える、美術と教育について。3日目、1日かけて補足と、質疑応答。
全て録音/録画して、文字起こしする予定という。
参加した人たちは、開館以来のボランティアの人たちで、みんなほぼ25年選手。僕とほぼ同じ年齢の人も多い。豊田市美は早くから「なぜ、これがアートなの?」の展覧会を開いていて、アメリア/アレナスの講演会も行っている。ここにきて、アメリアのやり方と、自分たちのやり方とのすり合わせを確認したいという風な想いを、僕は感じた。
ということを、行ってみて、初めてわかった。文字を読んで解ると、現場を歩いて解るの差は、果てし無い。
そういう美術館に、ほぼ1週間かけて、仙台港から名古屋港までフェリーに乗って往復してきた。考えることは、広範囲に、深く広くあった。行きと帰りの船は違っていたが、部屋は同じ側の海の見える窓付きだったので、行きはずっと海、帰りはずうっと陸が見えていた。海や空だけを、ずうっと見ていられることがわかって嬉しかった。見るは常に観る側にある。
帰り、夜は閉めておかなければいけない窓のカーテンを、起きてすぐに開けたら、左隅に白い富士山が見えていた。陸は見えず、海の上にポッカリと白い2等辺3角形が見える。船は右に進んでいて左端だから、すぐに視界から消えていくのかと思っていたら、それは少しずつ右に移動してきて、すぐに窓の真ん中になり、そのあたりから右手に黒く低い山並みが現れ、しばらくの間、富士山は見えていた。船は、だいぶ沖を大回りして東京湾をかわしていく。
富士山が視界から消えると、深緑の陸がずうっと見えるようになり、だいぶしてから、その黒い帯の中にポツリと白い建物の塊が現れてくる。陸からだいぶ離れた場所から見る黒い帯の上にポツリポツリと現れる白い建物群は、僕の持って行った双眼鏡では詳細はわからず、灯台では無いことぐらいしかわからなかったが、もしもあれだとすれば、こんなに海沿いに並んでいたのかと思えるくらい沢山あり、しばらく静かに落ち込んだ。白い建物群がなくなると黒い帯だけが続くようになり、すぐ細かな銀色の点々が重なる街の塊と、その奥に白く細く立つ観音が見えてきて、おお仙台だ。遠い沖から見ると、あの白い建物群と、この仙台の塊までは、ほぼこのぐらい(しか)離れていないのだということがわかる。国道6号線や常磐道を通って、あの白い建物群と、仙台がどれほど、どのように離れているかを、ゾッとしながら走り抜けたことが思い出される。沖から見るそのゾッとの仕方は、だいぶ地上からの体験とは違った見方の目を開いてくれた。沖から見(え)る感覚は、2次元でわかっていると思っていた僕の方向感覚を改めて点検させられた。
沖から見るとフェリー桟橋のある仙台港は、観音像の見える街からは、ずうっと東側にあった。僕の感覚ではあそこに街が見えるのなら、もう方向転換をしなければいけないと思ってからも船はどんどん進んでいく。もう、金華山が見えるのではと思うぐらいまっすぐ進むと、仙台港の防波堤と、火力発電所の煙突が現れて、頭の中の平面の地図を修正させられる。平面の地図を上から見たときと実際にその地図の上にいるときの感覚の差。
こういうのにびっくりするのと、美術鑑賞にのめり込んでいくときに起こる、世界の広がり方の楽しさ。いやはや。