遠くで風の音がする。
その音を聞いている。
風の音は自分の音か?
2022年3月20日
風で松の葉がゆれている。
1980年代初頭から公立美術館の教育担当学芸員になった僕は、何も知らずに思いっきり元気にその活動を展開していったことは、これまで様々な所に書いてきた。いやはや本当に赤顔のいたりだ。僕は本当にうまい具合の時期(主に20世紀の最終の10年)に、うまい具合の人達(日本中の公立美術館で様々な方向の活動をギリギリに展開してきたエキスパート)と、うまい具合の仕事(何の足跡も無いところで、最初から公立美術館での教育活動だけを展開すること)を、うまい具合の場所(仙台という街の規模と首都からの距離の、東京では無いところ)で展開できたのだということを、最近しみじみ思う。
教育担当学芸員という名称は、今では、正式な職名になったのだろうか。誰から言われるまでもなく、僕は最初から、僕の仕事をそう名乗っていた。当時誰からだったか何回か、正式にはその職名を使わないように言われた記憶がある。でも、強くではなかったことも記憶にある。
博物館教育という概念は既にあったが、僕は、博物館でも、美術館というある意味、変に偏った職場で仕事をしてきたので、その後、優秀な博物館教育の専門家と話をすることがあり、様々、話が合わなくなることがあった。なので、ここでも、博物館とは相容れない部分も出てくるかと思う。でも、僕は、多分美術館以外の博物館でも、そこでの教育担当学芸員は、同じ問題を抱えているように思うので、このまま話を進める。変だと思う人は、自分のところでは、この話はどこに当たるのか当てはめながら進んでもらいたい。
問題は、教育という言葉が、日本では、常に学校教育と強く同じに意識されているところにあるのではないか? 様々曖昧な意味の広がりを自覚したうえで、簡単にあえて言ってしまうのだが、西洋的な意味での近代の教育は、個人の自立を目指して行われる。個人という概念ですら、近代になってやっと自覚されるようになってきたもののように僕には思えるのだが、日本では、西洋とちょっと異なる状況でそれは始まったようだ。
何はともあれ、そのような教育環境の中で私たちは、みんなで通う基礎教育の中で、みんな揃って、個人の自立を学ぶことになった。そしてその基礎教育の中に、日本では、美術、体育、音楽、という極個人的な分野である表現系の学科も含まれることになった。
象徴的に考えればすぐ分かることだが、見えたとうりに絵を描くことや、普通の人より走るのが早いことや、ほとんどの人が納得できるように上手に歌えることは、ものすごく個人的な特徴ともいうべきもので、全員が揃って、ある程度の水準以上である必要は無い。むしろ絵を描くのが下手な人がいて、足の遅い人がいて、音痴な人がいることで、美術家や、プロスポーツ選手や、歌手の人たちの生活が成り立つ。当たり前のことだ。
多分ここまでのことを各分野の専門家がまとめると、各々すごい量の文章になって、それを各々読み、各々関係を見つけ、各々自分の生活に戻して考えてみる事をしていると、もう人生は終わってしまうのではないだろうか。
多分そういうことを一目でわかる/感じるために美術はあるのではないか。そういう事を一回りするだけで、なんとなくわかって/感じて、自分の立ち位置に思いをはせるために、美術館はあるのではないか。
最近僕がふと立ち止まってしまう時に想いを巡らしていることは、ものすごく雑にまとめてしまうとこのようなことだ。そういうところで行われる教育が、美術館教育なのではないか、ということだ。というようなことを70歳になって言えるようになった。