風が吹いている。
私がここにいるので、
風は風になる。
2022年3月3日
冷たい空気の中に、暖かい風。
確定申告の時期なので、なかなか文章を更新できないでいる。この文は、だいぶ前から書き始めたのだが、様々な問題が次々起こって、今日になってしまった。博物館教育(僕の場合は、美術館教育なので、面倒なのだが)を巡る自分の立ち位置については、年をとるにしたがって、様々わかってくる。みんなはすでにわかっていて、僕だけ、今ころ気づいたのかもしれないが、とにかく、忘れないように書いておこう。基本は、図工と美術は違うということを、忘れないようにするということだ。それを巡っては、また別に書こう。
まず最初に、誤解を恐れずまとめて言ってしまうと、1980年代の始め頃の日本では、美術館の展示作品の前で、学芸員(美術館の事務員以外の人は、みんな学芸員だと思われていた)がお話をする!、というとき、その話は、作品解説以外なかったのだ、ということを思い起こしてもらいたい。
鑑賞は、その解説をもとに行われるものだった。だから、中学生のときの僕のように、作品を自分勝手に解釈して、勝手にあっちこっちに話を広げていく鑑賞は、まず、最初にみんなでする鑑賞の検討対象から外された。1965年頃だったろうか。
図工は、美術をするためには必須の基礎的な活動で、出す(エクス)も入れる(イン)も表現は、もっと個人的で自由なものなのではないかということを思いついた/気づいた何人かの優秀な先生が、その頃の文部省に入り、1990年代になってやっと、個人的で、自由な鑑賞という概念が日本の基礎教育の中で認識された、ように僕には思える。
前後を確認していないが、時を同じくして、ニューヨークの近代美術館にいた、アメリアアレナスさんの対話型鑑賞という概念が、同じ時期同じ場所にいて、同じ活動をしていた、副のり子さんによって翻訳され、日本に紹介された。
そういう風景が、今頃になって、やっと、僕には見え始めてきた。当時、僕は、こういうことは、みんな同じに考えていて、同じに理解しているのだという前提で、全国美術館会議の教育部門研究会の会議に出席し、軽々しく意見を述べていたのだった。なので、心ある人たちからは、斎は、途中何も発言しないくせに、最後になって最初から皆んなでまとめた考えをひっくり返す発言ばかりすると、と言われたりもした。その当時、それは、どういうことなのか、本当に、僕には理解できていなかったのだ。
さて、昨年の春に豊田市立美術館に呼ばれて、僕が宮城県美でやっていたことを話す機会があった。豊田市美は、宮城県美とは基本的な規模が大きく違っていて、僕は美術館探検の下見をしただけで疲れてしまうほど広く、植え込みの中の石組みで足を滑らせて転倒してしまうというような具合だった。だが、そういうことを含めて、何をどのようにしてきたかというようなことが、より原理的な部分までこれまでの自分の足跡を振り返ることができて、様々なことが次々と見えてきた。ううむ、こういうことが歳をとるということだったのかと、妙に納得した。2021年、僕は70歳になった。
今年、豊田市美は前に東京目黒区美で、当時、僕と同様に美術館の教育活動を展開していたFさんを呼んで話を聞くことにした。僕は、最近のこの電脳的世界とは、意識的に距離を置きたいと思っているので、そのことは知らなかったのだが、こういう世の中なので、様々な所から様々な情報が届く。
豊田市美は、開館当時より対話型鑑賞を中心としたボランティア活動を展開している。その人たちから、Fさんに対話中心の鑑賞について何かアドバイスをと質問があったらしい。
その問いに対する彼女の答えは、「楽しくすればいいのよ」というようなものであったようだが(正確にはわからないままで言うのだが)、それをを聞いて、僕にはある思いが浮かんだ。
あの当時、アメリアを初めとする美術教育の基本的な概念をめぐる(論じる)本が沢山、日本で読まれていたのに、全国美術館会議の教育活動研究会に出ると毎回感じた、なんだかうまく言えない不思議な違和感。なぜだろうと会議に真剣に耳を傾け、思いを巡らすのに、最後までなぜそうなるのかわからず、つい、基のところに戻ってしまう意見を述べてしまう、というような。今になって思う、そうかそういうことだったのか。
アメリアの本を日本人風(基礎教育の初めから表現系の基礎を勉強させられる国、というような意味で)に読んでいると、対話を中心にした鑑賞は、楽しくやればいいのよというような答えが/は出てくるだろう。アメリアの「なぜこれがアート(美術)なの」(僕はこの本1冊だけを持っている)を読むと、彼女が鑑賞活動に使う作品(なんでもかんでも、全部使うわけではない)を巡って、ものすごい美術史的な勉強をしていることがわかる。ただそうすると、日本では、やっぱりそっちへ行かないと色々話できないんだという方向へ行きがちだ。でも、よく読む=自分に置き換えて読むと、その作品の解説(主体的鑑賞)が、説明的理解が目的なのではなく、自分の身の回りをどのように美術的に見直すかというような、美術の有り様の本来の形が見えてくる。そうしてその態度をもとに対話が進む。そうすると、その時、作品をめぐる勉強が使われる。
それは、美学美術史研究家としての収集系学芸員の作品解説とは目的が違うもので、見ている人個人の生活に、そこに見えるその作品をどのように関係つけられるかを目指すことになる。なので、アメリアの本に述べられている対話型鑑賞は、実に真剣勝負のようなものになり、大変疲れる活動になる/であった。だが日本の場合、こういう活動の主な対象は、小・中学生であることが多く、自分よりは年少であることが多かったので、様々なんとか「楽しく」活動が進むことが多かったのは、今思えば、ため息ものだったのだと思う。
それから、もう一つ、確認しておくべきだと最近気づいたのは、この場合、僕が使っている活動とは、僕の知っている始まったばかりの頃の概念に基づく基礎的で本質的なワークショップの事で、準備をしない=準備からみんなでやる、成就を目指さない=収束する目的を持たない、活動の過程だけを(作業の)目的にする、というような意識のもとに展開される活動だったということだ。意識しないで、これらのことをやっている僕(の動きや、遣り取り)を見れば、その当時、それは「楽しい」活動に見えたのかもしれない。
このように、あの当時(1980年代終盤〜1990年代初頭)を、21世紀もだいぶ来てから振り返ると様々見えてくることが多く、あの当時僕が感じていた日本の美術館教育に対するもどかしい違和感が、どこから来ていたのかということが、じんわりと見えてきてありがたい。様々な意味で、20世紀が、表現系文化(だけではないが、しかしその基礎としての)に成した大きな意味が見えてくるような気がする。