いただきます、と言う感じの
英語はない。
同様に、兄さん姉さんに合う
英語もない。
僕が知らないだけだと良いが。
2022年7月27日
からりとしない熱い空気。風もない。
僕の父親は、最後、アルツハイマーだと診断されて、施設にいれてもらい、最終的には膀胱癌で亡くなった。ちなみに、アルツハイマーの時は、介護保険で施設に入っていたが、そこで、癌が見つかると、それは介護ではなくなるので、老人ホームにはいられなくなり、健康保険で病院に入院することになる。もちろんその変更の手続きは、場所を見つけることも含め、大変だ。
僕自身は、最後まで彼と仲良しだと思っていたし、張り切りも衒いもなく、良い息子だと思っていた/る。でも、今になって思い返せば、今の僕の毎日(前にも書いたとうり、若い人たちに丁寧に説明されても、何か根本的な所の言葉の意味の誤差を修正しきれずに、彼らが何をどうしたいのかをわかりきれない思いが吹っ切れない、等)は、あの頃の彼の毎日とそんなに変わりない様に思えてくる。ということは、あの頃施設に入れられてしまった彼は、今の僕とそんなに変わりない状態で、アルツハイマーだと診断され、自分の家から特別擁護老人ホームに移されてしまったのではなかろうか?
僕の父親は、自分のかみさん(僕の母親)が、ある日突然死んで(僕を含め、彼女の遺伝子系は内臓血管系が全体的に脆弱なのだ)しまい、その後どうするかをよく考える間もなく、近くに住んでいたとはいえ、まったく生活スタイルの異なる息子家族がテキパキとその後の生活を取りまとめ/しきり、彼らと一緒に住むことになった。その息子は、(多分彼らが一生懸命育てた人間なのだから、そんなに)悪い奴ではなかったのだろうが、彼が、(何しろ終戦直後だから、文字通り)汗水垂らして建て、長年かかって、自分が組み立てた生活をして暮らしてきた家屋を、その「悪気なく乗り込んできた」息子家族がすっかり壊して改造してしまい、いやはやなんとも、様々大変な、毎日になってしまった。
それまで、床の間縁側付き2階建日本家屋で、畳に布団で暮らしていたのが、ある日から突然、木造2階建は変わらなくても、畳の部屋はなくなり全室木張り床。一応仏壇と神棚はあるが、建築構造上、それらは北向きになった。1階の半分はガレージが占めており、古いフランスの小さい車用。空いている所は所構わず天井まで本棚。彼の家だった頃は、建増しのプレハブ物置が2棟もあったのに、今度の家の収納スペースは見える様にできる所と物だけ。布団と押入れはなくなって各自ベッド。朝食ではなくブレックファスト。カンパーニュかバケットにカフェオレとヨーグルト。お茶でなく、自分で淹れる珈琲。ということを、何の点検もせずに、僕は持ち込んだ。心から、良かれと思って。又は、何も考えずに。
そうして彼は、施設で、アルツハイマーと診断された、老後を送り、病院で死んだ。
このブログの前2回分は、僕の電脳の画面上にあったひとつの文章の、1回目と2回目だ。最初に書いた文を修正せずにあげてしまっていたことを忘れていたのだ。初めに書いて、これでは、言いたいことが何も書いてないなと思って止めていた(と思っていた)。その後、違う人から相談があったり質問があったりして、自分でも、言いたいことがある程度わかったので、その修正を追加した。なぜかその両方が公開されてしまった。
そしてわかったことが、今回の文章だ。わかればわかるほど、知らないことは広がる。
今月は、もう何も予定がなくなったので、ふと思いついて、前にお知らせが来ていた木工芸家の友人の展示会を見に、仙山線で山形市七日町の画廊に出かけた。帰りは、駅弁を食いながら山形新幹線で福島まで出て、最近やっと全線が繋がった阿武隈急行で柳川を経て槻木、東北線で岩沼へ。10時に出かけて17時過ぎに帰宅。夏の深い森の中を駆け抜け、すり抜ける電車に、ずうっと乗っていた様な不思議な感じ。