知っているものだけが
見える。
知らないものは
見えていても、
見えない。
2022年8月22日
快晴の高い気温。乾いた空気の軽い風。
最近、1990年代に日本で、「なぜこれがアートなの」展(だったか、今となっては不確実だが)が開かれた時、豊田市美術館で行われた、アメリアレナスさんの市民鑑賞ボランティア向けの対話型鑑賞のための講演の記録動画を見た人から、齋さんの美術探検を思い出した、という連絡をもらった。
最初に、アメリアをめぐって注意しなければいけないことは、彼女はベネズエラ(の、多分割と上流階層)出身で英語母語の人だということを常に気に留めておくことです。だから、彼女は基本的に個人主義(自立した自覚的近代市民)で、図画工作を、基礎教育の時代にしなかった人なのです。そうして、ニューヨークの近代美術館で、その時すでに当たり前にあった、美術館教育部で、あのやり方をまとめたのです。
日本で、この話をすると、で、だから?となりますが、日本ほど、西洋の本物の絵画が溢れている(西洋以外の)国は無いのです。彼女から聞いたのですが、彼女が子供だった頃のベネズエラには本物の油絵の西洋絵画は、国立博物館に1枚しかなかったのよと、言っていました。なので、西洋絵画が大好きだった彼女は、ベッドの中で日がな一日、西洋絵画の画集を見ていたのだそうです。その憧れから彼女は、美術家になり、その後アメリカに留学して、今の位置を築きます。
アメリカは、独立後落ち着いてから(日本と同じに)ヨーロッパ中から、いわゆる西洋絵画を収集します。ワシントンDCにある米国立博物館などで見る博物館の有り様は、欧州が市民革命後時間をかけて築き上げてきた近代博物館の集大成です。アメリカは、いわゆる王様がいませんから、王様的なすでに収集された宝物はありません。だから、丁寧に、様々な問題を検討しつつ、基本的に人民のための宝物を収集します。アメリカの博物館は、だから、微妙に欧州のものとは匂いが異るように、僕には感じられました。
その上で、最初の文に戻ります。彼女の鑑賞補助は最初から(図工を通さない)美術から、頭の解放を、始めています。その上、英語で、遠慮会釈なく、自立した近代市民と、対話的会話をしています。という様なことが基本的に理解されていないと、対話的美術作品鑑賞補助は、日本では上手く成立しません。というようなことを、日本語で書くとこのぐらいの文章量になります。僕のような丁寧で無い日本語でもこのぐらいになります。
最近、90年初め頃のアメリアの対話型鑑賞補助活動の記録動画を見て、様々な人が感じた事象の問題は、基本的に、我々は日本で、日本語を使って、それをしなければいけない所にあります。しかも現代のこの、様々ふにゃふにゃになった日本語で。
美術はすぐに基本的な哲学の話に行くので、どんどん拡大していくことが多いのですが、同時に美術はそこに見える、あるものを巡るだけなので、少し助かります。何が助かるかというと、常に、自分の身の丈に引き戻すことが可能だからです。多分、日本語での対話的鑑賞(僕もやる時に常に気をつけていることですが)では、各自の身近な身の回りの物事に、常に引き戻す練習が、ファシリテイトする方に、必要なのです。何回も言いますが、見えるものは知っているものだけなのです。なので、注意さえしていれば、相当年齢の若い人たちとも、直接美術の話は可能ですし、または、だったと僕は思っています。こちらがすでに知っていることを知らしめるのではなく、そこにある物や起こっている事を通して、見えていて知らないことやものに気づく練習。美術の楽しみがそのあたりにある事を気づくだけでも、美術館があってよかったと思えるのではないかしら。