だいぶ昔に、

ここを見つけた人がいる。

その頃道は無かっただろう。

でも、水は流れていた。

2024年 3月15日

暖かい空気。風時々強し。


N ewYorkから帰って来て以来、簡単なので、僕の朝飯はパンと珈琲だ。もう帰って来てから50年も経つから、様々思うところや、必然などが重なって来てはいるが、基本は同じだ。

今/今朝の朝食は義理の息子が作ってくれるカンパーニュを薄く切ったやつ1枚。それに、火星の庭で買っているパレスチナオリーブオイルをかけて、ザータルを振り、蜂蜜をかける。白磁の縁の厚いおおきめのマグに入れた珈琲に牛乳を入れたやつ。同じ仕様の大きめのお椀に彼が毎日少しずつ牛乳を足して作ってくれるプレーンヨーグルト。それに基本的には苺ジャムと蜂蜜をかける。これらを老眼鏡をかけて、ゆっくり河北新報を読みながら食べる。もうだいぶ長い間こういうことになっているので、書き出すと、なんだかうるさい爺さんの大変な朝の始まりのように見えるが、パンと蜂蜜と、珈琲さえあればあとは、特に問題はない。なので、先日蜂蜜を買いに出かけた。


普段、僕は山形の朝日町にある蜂蜜屋にそれを買いにいく。特にそこでなければいけないというわけではない。もともと山形の裏側を細々走り回るのが好きで、モーターサイクルがメインの移動手段の頃からあっちこっちぶらついていた。でも、その頃は蜂蜜はそんなに食っていなかった。蜂蜜を食うようになったのは、美術館で働き始めて暫くしてからだ。今思い出す主たる問題は、朝僕の女将さんにあまり面倒をかけずに、自分でさっさと作って食ってしまうということだったのではないかと思う。で、ある時最上川の岸辺を走っていた時にそばを食おうと立ち寄った街で、蜂蜜を買った。それ以来色々なところで、機会があれば蜂蜜を買った。様々食べてみた後、僕が好きな蜂蜜は、朝日町のある養蜂園で売っている薬草の蜂蜜というのに落ち着いて来た。


書いてみると、僕は、あまり食い物に好みはないと思っていたのだが、なんだろう、食い物そのものに好みはなく、なんでも出されたものを美味しくいただけるが、自分で食うものは、好きで奥までわかるものを食べたいと思っているようだ。いやはや。ま、お爺さんなんだし、このくらいは良いか。