私が自覚する、私。
私しか知らない事。
自覚する私を、自覚したい。
2024年 6月10日
中途半端な高曇り。生暖かい微風。
ふと気付くと今日はもう月曜日だ。先週の土曜日、児童館の人たちと森の中で1日遊んで過ごした。全員小学3年生で19名、女子5名。ここまで聞いて、大体どういうイメージが湧くかで、その人の立つ位置がわかる。
僕は終戦直後の昭和の男子の爺さんなので、小3女子5名、お、今日はいろいろできるぞ、と思う人。というような活動=遊びを森の中で1日中、心からしたので、次の日はノロノロ起きて、ふと気づいたら今日は月曜日の朝だった。あの人たちは面白いなあ。みんな元気に良い大人になってくれるといいなあ、と心から思う。あの人達を、あの状況で見ると、人間は大丈夫だと思うのだが、2CVで帰宅してテレヴィジョンで見る人間の先はそんなに長く無いように思える。
今月は後2回、児童館の人達と夜にホタルを見る活動と、就学前の小さい人達と砂遊びをする活動が1回ある。倒れないようにしなければ。ま、とかなんとか言っていても、気づいた時は無意識に気を失っているのだが。
というようなことを確認するため、日程表を見ていたら、ううむ、小さい人達との砂遊び(午前中)の次の日金曜は、昔からの友人達と、山形の山寺でお寺を使わないのっつおの活動をし、その次の日の土曜は夕方児童館の人たちとホタルを見る会をし、日曜の午後美術館で働いていた時の同僚が、何か質問をしに来る予定(午後)が入っていた。なんてことだ、後の日はずうっと空いているのに、そこにだけ、なぜか集まってしまっていた。
うん、どうせ僕はいつも暇なんだよとかなんか上手い事を言ってよく確認をせずに予定を入れていったんんだな。僕のようなルーズな本格的年金生活者には、こういうことがーたまにー起こる。ありがたいことだ。
去年のことがあるので、今年の7月8月は、僕はそういう活動から外されている。本当にありがたい。そして7月にはまた誕生日が来て(当たり前だが)もう一つ歳をとる。本当にありがたい。