この星の上にいること。

僕と僕以外の、みんな。

生きていることの自覚。

その全てが死ぬとしても。


2024年06月24日

空気は涼しいのだが、気温は高い。ものすごい高曇り。これまでの人生で、あんまり経験したことが無い気候。最近こういうのが多くなっている。


何はともあれ、昨日は日曜日だったが、ふと気付いて目を覚ましたら、午前10時を過ぎていた。その日も、午後早くに、古い友人が訪ねてくる予定がある。やや慌て気味に起き出し、遅い朝飯を食う。とにかく、何はともあれ、この23日日曜日でこの何だか忙しいの続く毎日は終わりだ。


この時期、毎週土曜日に坪沼で、午後から児童館の人たちと森の中で活動をし、夕方夕飯を食べつつ小さい提灯を作り、午後8時過ぎに、みんなで真っ暗闇の中をその小さな提灯だけを頼りに森の裏の小川の辺りに移動し、蛍の群を見て帰る活動をする。


今月に入ってそれが毎週(4回)続き、その間を縫って、月末の今週は、木曜に就園前の小さい人たち-3歳以前ーと、児童館園庭全面を使って、まずタープをみんなで張り、その下を中心に水を流して川を作り、池を作り、ま、全体としては水、泥遊びなのだが、公式名称砂遊び。

次の日金曜は、朝から、昔からの友人の、大人の人たちと仙台駅発仙山線と左沢線を経由して、寒河江の慈恩寺散策。予定の蕎麦屋はなぜか臨時休業。いや、こういうのこそ心躍りますね。新しくできた慈恩寺テラスで蕎麦を食いー何つったって山形ですからねー、僕の好きな慈恩香という線香を買って、バスで帰仙。

そして土曜日に児童館の人たちと夜まで活動をし、昨日の日曜、僕が宮城県美にいた時の同僚だった学芸員のW君らが、美術館教育をめぐる質問にやって来た。ここに来て、さまざまなことがわかって来て、多くの自覚されれるべきだった(僕の中で)日本の美術館をめぐる問題を巡って、しばらく検討討議。あっという間に時間が過ぎた。

問題が起きたら、まず原点に戻る!が一番早い解決方法だと、僕は思っているのだが、どうも最近は「そもそも」論は敬遠されているようで、という辺りを巡って、原点を求める討論。脳みそ疲労が自覚できるようだった。思えば、最近こういうあたりの脳みその使い方からはだいぶ離れていたのだなあ。いやはや。でも面白かった。流石に、これだと今日月曜日はだまって10時まで寝てしまった、というわけだ。


さて、今週、6月の最終週は、特に何も予定は無く、僕が今の家を作った時、メインの家具(食卓とその椅子とか)を作ってくれた余目の工芸木工家桑原君らのグループ展が、山形市内でやっているという案内が来ていたので、それをゆっくり散歩がてら見に行こうと、考えていた。最終週!おう、爺さんには、そんな自由はない。最終週は、基本、病院に行く週なのだ。僕は脳内出血後の治療中の患者。後、月1回鍼灸の先生の友人に全体の調子を見てもらう。その他。ま、とにかくそういうしなければいけないことの合間を縫って、今週は山形に、工芸展を見に行って、蕎麦を食いつつ少し散歩をしに行こう。


書き出してみると、いやはやだなあ。でも多分、これはこれで、なかなか良いのだろうと思う。