ここに居るって、

どう言うことだ。

僕は、わかっているのか。

ここって、宇宙の、ここだぜ。


2024年 7月15日

昨日は山形にいた。太陽の光が、ここより近い。

僕の家の裏には、小さな川/堀が流れている。僕が知っているその川の名前は屋根川。今は何と言うのだろう。千と千尋に出てきたような立派な神様の名前でなくていいから、でも、昔近所の子供たちが裸で一年中遊んでいた時のような名前、ついているといいのだが。線路の向こうに広がる田圃の排水溝から始まって、と言うことはその上を囲む千貫山の水源を集めて、この下の五間堀に繋がる。今はすっかりコンクリートで固められていて、滅多なことでは水が溢れるようなことはない。でも、僕が(多分)10歳になる前は、割としょっちゅう氾濫していた記憶がある。洪水で、家の周りが水浸しになっている写真も残っている。小さい僕と弟のH記君が水浸しの道路の上に突き出している昔の実家の門柱に困ったような、しかし何か嬉しそうな顔をして、寄り添って立っている。


僕は、今、1階の僕の古いフランス車をしまってあるガレージの隣に付いている、設計図上は倉庫となっている小さな部屋に、作り付けのベッドを作り、そこに寝ている。そこを見た僕の古くからの友人が、少し照れたような笑いを見せながら、「寝台列車だな。」といったことを、誇りと共に、思い出す。昨日、山形に住む小3の孫に、おじいちゃんの寝台列車みたいなベッドの話をしたら、寝台列車って何?と真剣に聞かれて、夏休みに見にきなさいと話したところだ。

とは言え、その10歳以前の屋根川だったら、今、僕が寝ている1階にある作り付けの寝台だったら、僕は、ある朝、ふと気付くと、水の底にいたりするのだろうか。なぜかワクワクする。


ふと気付くと、普段の僕の生活は、ものすごく定型化していて、僕以外の人が、僕の生活に代わりに入ってきても、ほぼ問題なく毎日の生活を送れるのではないかと思える。


2階に住んでいる人たちは、みんな働いたり、学校に行っているから、彼らがすっかり出るまで、邪魔にならないよう、計画されている活動などで決まった時間までに出なければいけない時を除いて、僕は1階のその僕の寝台で寝ている。ま、普通は朝8時まで。

最近、8時に一旦起きるのだがが、その後再びベッドに戻ってバタリ、気がつくと、もう9時。ということが多い。ま、おじいさんなのだから、しょうがない。


とにかく起きて、2階に行って着替えをし、食堂で朝飯を食べる。特に何かない限り、朝食はいつも同じ。アメリカの普通のカフェにあるのと同じ、大型の円筒形のコーヒーマグにたっぷり牛乳を入れたコーヒー(カフェオレではなく)に、息子手作りのカンパーニュを極薄く切ったやつ1枚。軽く焼いたそれにオリーブオイルとザータルをかけ、蜂蜜。できたら丸森耕野産のやつ。カフェオレボウル1杯の手作りヨーグルトにその時あるジャムをかける。今なら、庭に生えている枇杷の実ジャム。食べながら、老眼鏡をかけて、河北新報を隅々読む。だいたい、8時に始まれば、9時前にはご馳走様。

読み替えすと、確かに定型化はしているが、なんかうるさそう。代わりに入り込むのには覚悟がいりそうだ。


紙の新聞をとうして世界を感じることは、僕にとって割と大切なことなのではないか、と最近思っている。決まった一社の新聞を、宣伝を含めて、隅々読むだけで、同時に世界を見渡すことが出来るように思える。そのためには、一つのことを巡って、常にその全く反対の考えを見渡してみるような心構えが必要だが。今の世の中は、SNSやYouTubuを始め、みる気がなくても、雑多な小さい情報が全方向から入って来る。


小さい頃、基礎教育で習った具体的な社会は、最近、根底からひっくり返るような発見が続き、驚くが、僕らが知っている、いわゆる民主主義社会は、ほぼ僕が学習した範囲の中で右往左往しているように見える。こんな酷いことはみんなすまいと思っていたことは、やはりする人がでてきた。多分、生き方の中における経済が占める部分が、ひどく大きなウエイトを占めるようになってしまったからだろう。清貧などと言う言葉は、もうだいぶ前から日本語の中から消えてしまった。消えたことそのものではなくその言葉を無くしてしまった方向で社会の全ての動きが拡大でなく収束してしまったことが失敗だったように思う。


裏の小さい川の名前が、いまだにあることを祈りたい。