此処も、すぐこの前まで、

メインストリート。

今は、僕の息切れの音だけが聞こえる。


12月 3日  

すこし暖かい乾いた空気。


ここしばらく、冬は2CVには乗らないできた。寒くなると、2CVに積んである小さなバッテリーでは、始動する力が足りなくなるからだった。しかし、科学は進む。今年、僕の車には最新式のバッテリーが導入された。液補充!とかしなくて良いやつ。これは、冬でも力強く一発で始動する。なので、今年は、秋遅くなってからの活動にも、2CVで出かけた。


ということは、いざという事も考えて、これも本当にしばらくぶりにスノータイヤを履くことにした。最後にはいた頃、僕は2トン用の普通型ジャッキで車体を持ち上げて、一人で作業をしていた。今年は、手伝ってくれる義理の息子もいるし、面白がって、本来の車載工具である螺子巻式ジャッキを使うことにした。これが今起こっている、全ての元になった。


車体の、ジャッキングポイントに引っ掛けポイントを当てて、グルグル回し始めると、車が持ち上がると同時に、車体のジャッキングポイント部分が外側に開き始めた。素早くタイヤを1本だけ交換して、後は、車載ジャッキ使用をやめた。

外側に開いた車体部分を、ハンマーで叩いて元に戻す。僕がタイヤ交換をする場所は、家の前の傾いた場所なので、車止めをあっちこっち動かしたりなんだり、さまざま必要な行動が多い。


一応なんとかかんとか全輪交換して、家の周りを軽く試し乗りをした。動かすとすぐヘンな音がする。下から覗いてみると、フェンダーの内側、車体の下の薄い(ま、2CVの車体は全て薄いのだが)鉄板が一部剥がれかけてズレていた。手で押し曲げて、治す=基に戻す。


で、車体は、これで来年の春まで大丈夫になったのだが、僕の右手の親指が捻挫したようだ。ううむ。

これを書いている今日は12月の第2週10日。まだ、指の捻挫は治っていない。


こういう時に、マルコムースミス氏が、泣くなっったというニュースが飛び込んできた。ううむ。

昔、北海道苫小牧での2days enduroの朝、彼がタイヤ交換をする時、周りに漂ったベビーパウダーの香り(潤滑剤として使用)が思い出される。僕も、だいぶん歳をとって当然だ。



振り返ると、見える物。

振り返ると、思う物。

でも、進む時は、前を見る。

11月21日 

 乾いた底冷えのする、しかしほわっと温かい空気。


普通、11月は、季節柄、何やかや、忙しいことが重なるが、今週は空いている。頭の老化の対応として、毎日日記を書いてみようと思うのだが、思いついた一つのことを巡って書き始めると、どんどん深く広く行ってしまって、毎回挫折する。ウジウジしている間に、次のフットボールの試合が始まるという具合だ。


僕は、退職した時に、それまであった本をだいぶ整理した。何回も読み返している物語作家は、ほぼ決まっていたので、ハードカバーの本を後ろの壁1面、ソフトカバーのを向かいの壁と分けて、だいぶ整理した。ほぼそれらの本を何回も読み返している。新たに気になるものが出たときは、図書館。


僕にとって、本を読むということは、物語を読むということだ。


 


だいぶ前、

ここはメインストリートだった。

その目印の、石。

今は、僕が通る。


2024年11月12日


9月になると、アメリカンフットボールが始まり、日本でも、そのうちの何試合かが、選ばれて実況中継される。僕は、特にどこのチームのファンというわけではないが、ゲームそのものが面白いので見てしまう。なので、しばらくブログを書くのから離れてしまう。多分、前に書いた蔵王古道登山の疲れが後を引いているのかも知れない。


最近、前から持っていた、山寺立石寺を巡る本を、読み始めた。山寺は、もちろん、何回か行ったことがある。その全ては、仙山線の電車で山寺駅まで行って、お寺に登って帰るというものだった。電車や、自動車が普通になる前から、山寺がこの辺りの名所だったことは、松尾芭蕉を引き合いに出すまでもなく、事実だ。


電車や自動車が普通になる前、山寺は、秋保から二口峠を歩いて超えていく所だったようだ。だいたい、太平洋側から、日本海側に抜けるのは、どちらにしても、どこにしても、大変だったのだ。せめてカブ(小さなモーターサイクル)で良いから、地面を辿って山寺まで行ってみたい。今年は季節的にもう無理はできないが、元気なうちにそういう形で遊びに行きたいものだ。