ま、とにかく、
ここまで来たのだから。
今更、騒いでも、
どうなるものでも無い。
12月24日
乾いた冬の日。こんなに空高かったら、寒い筈だ。
月初めに、美術館、博物館教育をめぐって様々考えることがあったのだが、全体として、余計なことの様に思えて、何もしていない。毎朝、河北新報の朝刊をじっくり読むのだが、毎回、信じられない様な世界が新たに広がっていて、とても、僕の出番ではないと、思えてしまう。一体20世紀は、何をしてきたのだろうか。いや、その、あの、結果が、今なのだ。僕の先生たちも、同じ様な感じ、想いで、晩年を送っていたのだろうなあと、しみじみ思う。
生きるための情報は、広く浅く取り入れるが、そのほとんどを無視して、昔から僕がやってきたようにやっている。前にも書いたかと思うが、朝は、学校や何かに出かける若い人達の邪魔にならないように、8時まで寝ていてゆっくり起きる。どうせ、テレビでナショジオかなんかを見ていて、寝るのは12時あたりだから、いい長さなのだ。
朝食は、息子手作りのバケット薄く一切れに、良いオリーブオイルとザータルをかけ、それに丸森耕野の蜂蜜をかけたやつ。牛乳を入れた珈琲。大きいマグで1杯。なくなったら、最近は線路の向こうのマーケットまで出かけて買って来る、フランスのカマンベールを一切れ。食事をしながら、新聞を隅々まで読む。そういうことが終わったら、庭に出て、木刀の素振りを30回。空気を切る風の音がするように。その後、トイレに行って部屋に戻り、決められた薬を飲む。ううむ、書くだけで、長い。でも、これで、毎朝のルーティンは終了。でも、まだ9時だ。
気候がいいなら、様々、出かけたいことはあるのだが、寒いので、1階のペレットストーブの前で、池波正太郎、鬼平犯科帳を、再び、読む。何回も、読む。たまに歩いて近くのコンビニまで出かけ、コーヒーのLサイズを1杯買って、小さい魔法瓶に詰め直し、それを飲みながら読む。家にも、自分で豆を挽いてコーヒーを入れて飲む為の道具は用意してあるのだが、ちょっとそこまで歩いて行って、入れたてのコーヒーを買って来る運動も捨てたものではない。最近、同じ様に近くの自動販売機で買う缶入りコーヒーも、この仲間に入ってきた。ううむ。なんと優雅な毎日であろうか。
そんなこんなしていると、夕方になって、家にいる柴犬ゴローとの散歩の時間が来る。そんなこんなで、1日ほぼ7千歩ほど歩くことになる。